・・・ お佐代さんは四十五のときにやや重い病気をして直ったが、五十の歳暮からまた床について、五十一になった年の正月四日に亡くなった。夫仲平が六十四になった年である。あとには男子に、短い運命を持った棟蔵と謙助との二人、女子に、秋元家の用人の・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・ある時弟子の家の者が歳暮の餅を持ってがらりと玄関の戸を開けて這入って来た時、伯母は、ちょうどそこの縁側を裸体で拭いていた。私ははらはらしてどうするかと見ていると、「これはまア、とんだ失礼をいたしまして、」 と、伯母は、ただ一寸雑巾で・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・ 一つの私事歳暮余日も無之御多忙の程察上候。貴家御一同御無事に候哉御尋申候。却説去廿七日の出来事は実に驚愕恐懼の至に不堪、就ては甚だ狂気浸みたる話に候へ共、年明候へば上京致し心許りの警衛仕度思ひ立ち候が、汝、困る様之・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・たとえ偶像礼拝の傾向が聖母崇拝や使徒崇拝などの形で生き残って行ったとしても、美しいギリシア諸神の像はついに中世の闇の内に隠れてしまった。八世紀の偶像破壊運動は、キリスト教の聖者像をさえも寛容しようとしないものであった。 やがて新しい時代・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫