・・・ナポレオン戦史講義 騎兵の操兵法チェスのようにして そういう日課が習慣となって来た、 p.91―若い少尉のあらゆる感覚が鈍って来た ○ ――殆ど自分自身に対しても深いケンオを抱くようになっ・・・ 宮本百合子 「「緑の騎士」ノート」
・・・しても、真理を求める精神は青春を保ち、一九三二年、世界的な規模で彼の文学生活四十年が祝われた時、ゴーリキイは、最も混り気ない献身、彼の文学的力量の全蓄積をもって、世界文化の発展のためにその先頭に立つ老戦士として自身を示したのであった。 ・・・ 宮本百合子 「逝けるマクシム・ゴーリキイ」
三月十五日に発行された文学新聞に、無名戦士の墓へ合葬された人々の氏名が発表されていた。そのなかに、譲原昌子という名をみたとき、わたしははげしいショックをうけた。今年の一月十二日に亡くなられたと書いてある。一人の家族もなくて・・・ 宮本百合子 「譲原昌子さんについて」
・・・そのような上野独特の旅客が山下まで溢れた中には、旧盆に故郷へかえる男女の産業戦士が大部分を占めていることも新聞に報告された。 同じ頃にやはり新聞が、青少年男女の産業戦士の病気になる率が急騰していることを報じていたことは、その上野駅頭の大・・・ 宮本百合子 「列のこころ」
この間うちの上野駅の混雑というものは全く殺人的なひどい有様であったようだ。その混雑の原因の一つは、お盆にあたって故郷へかえる男女の産業戦士たちの出入りであると云われ、密集して改札口につめかけている大群集の写真も新聞にのった・・・ 宮本百合子 「若きいのちを」
・・・ 大野の想像には、小倉で戦死者のために法会をした時の事が浮ぶ。本願寺の御連枝が来られたので、式場の天幕の周囲には、老若男女がぎしぎしと詰め掛けていた。大野が来賓席の椅子に掛けていると、段々見物人が押して来て、大野の膝の間の処へ、島田に結・・・ 森鴎外 「独身」
・・・ この三郎の父親は新田義貞の馬の口取りで藤島の合戦の時主君とともに戦死をしてしまい、跡にはその時二歳になる孤子の三郎が残っていたので民部もそれを見て不愍に思い、引き取って育てる内に二年の後忍藻が生まれた。ところが三郎は成長するに従って武・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ この間、彼のこの異常な果断のために戦死したフランスの壮丁は、百七十万人を数えられた。国内には廃兵が充満した。祷りの声が各戸の入口から聞えて来た。行人の喪章は到る処に見受けられた。しかし、ナポレオンは、まだ密かにロシアを遠征する機会を狙・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・しかし敵手が人間になり、さらに自分の心になると、彼らはもう立派な戦士ではない。彼らの活動は真生の面影を暗示する。しかしそれは彼ら自身の生活ではなかった。彼らは低い力と戦っている時にのみ強いのであった。 私は複雑な、深さの知れぬ人生のいろ・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・に過ぎないのであるが、強すぎた大将の下では、上中下の二〇%の武士を戦死させ、人並みの猿侍のみが残ることになるからである。こういう場合には、八〇%が残っていても、全滅と変わりはない。 以上の四類型は国を滅ぼす大将の類型であるが、それによっ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫