・・・家庭での、平和な生活はのぞましいものである。戦場は、「一兵卒」の場合では、大なる牢獄である。人間は、一度そこへ這入ると、いかにもがいても、あせっても、その大なる牢獄から脱することが出来ない。――こゝに、自然主義の消極的世界観がチラッと顔をの・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・ ある者は戦場から直ぐ、ある者は繃帯所から、ある者は担架で病院までやってきて、而も、病院の入口で見込がないことを云い渡されて林へ運ばれて行った。中には、まだぬくい血が傷口から流れ出ている者があった。自分たちが、負傷から意識を失った、若し・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・私塾と云えばいずれ規模の大きいのは無いのですが、それらの塾は実に小規模のもので、学舎というよりむしろただの家といった方が適当な位のものでして、先生は一人、先生を輔佐して塾中の雑事を整理して諸種の便宜を生徒等に受けさせる塾監みたような世話焼が・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・筒の中に螺線条をこの頃施こすのもこの規則に従うのサ。鳶の尾は螺線を空中に描いて飛ぶのサ。魚の尾も螺線をなすのサ。鶴が高く登るのにも空中を輪になッてぐるぐると翔りながら飛ぶのサ。是非ねじれて進むのサ、真直に進むものはないよ。地球も自転しながら・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
一 官吏、教師、商人としての兆民先生は、必ずしも企及すべからざる者ではない。議員、新聞記者としての兆民先生も、亦世間其匹を見出すことも出来るであろう。唯り文士としての兆民先生其人に至っては、実に明治当代の最も偉大なるものと言わね・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
先生。 私は今日から休ませてもらいます。みんながイジめるし、馬鹿にするし、じゅ業料もおさめられないし、それに前から出すことにしてあった戦争のお金も出せないからです。先生も知っているように、私は誰よりもウンと勉強して偉く・・・ 小林多喜二 「級長の願い」
・・・「次郎ちゃん、番町の先生のところへも暇乞いに行って来るがいいぜ。」「そうだよ。」 私たちはこんな言葉をかわすようになった。「番町の先生」とは、私より年下の友だちで、日ごろ次郎のような未熟なものでも末たのもしく思って見ていてくれる・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ああ、僕の部屋の机の上に、高木先生の、あの本が載せてあるんだがなあ、と思っても、いまさら、それを取りに行って来るわけにもゆくまい。あの本には、なんでも皆、書かれて在るんだけれど、いまは泣きたくなって、舌もつれ、胴ふるえて、悲鳴に似たかん高い・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・そうして、彼は、それが東京に於ける飲みおさめで、数日後には召集令状が来て、汽船に乗せられ、戦場へ連れられて行ったのである。 ひや酒に就いての追憶はそれくらいにして、次にチャンポンに就いて少しく語らせていただきたい。このチャンポンというの・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・ 山川草木うたたあ荒涼 十里血なまあぐさあし新戦場 しかも、後半は忘れたという。「さ、帰るぞ、俺は。お前のかかには逃げられたし、お前のお酌では酒がまずいし、そろそろ帰るぞ」 私は引きとめなかった。 彼は立・・・ 太宰治 「親友交歓」
出典:青空文庫