・・・それより、こんなにわるい銭湯の状態が、もっともっとよくなることを切望しています。自分のものでなくても、自分はじめみんなが衛生的に気もちよくつかえる銭湯をもちたいと、どんな方でもおっしゃると思います。ある区会議員の選挙演説では、当区内の浴場を・・・ 宮本百合子 「社会と人間の成長」
・・・先が尖って、空に消えて見えないような金の尖塔が要塞内からそびえ立っていた。太陽はどっか雲の奥深いところにある。 窓の真下は冬宮裏の河岸だ。十九世紀ヨーロッパの立派な石の河岸だ。人は通っていない。太い鉄の鎖がどっしり石柱と石柱との間にたれ・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・ 粘土と平ったい石片とで築かれたアラビア人の城砦の廃墟というのへ登り、風にさからって展望すると、バクーの新市街の方はヨーロッパ風の建物の尖塔や窓々で燦めいている。けれども目の下の旧市街は低い近東風の平屋根の波つづきで、平屋根の上には大小・・・ 宮本百合子 「石油の都バクーへ」
・・・ 夢一、三角の家 雪がある。船頭のような男と二人歩いて行くと、向うにずらりと並んだ長屋が見える。一間ずつ一かわこう一側並んで居。 一間のなかにいろいろな人間がいろいろにして暮して居るのが見える。夫婦さし向いで・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
・・・細雨を傘によけて大観門外に立って見ると、海路平安と銘あるそのすっきりした慈航燈を前景とし、右によって市中の教会の尖塔がひとり雨空に聳えて居る。濡れた屋根屋根、それを越すと、煙った湾内の風光が一眸におさめられる。佇んでこれ等の遠望を恣にして居・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・左手に、高くすっきり櫓形に石をたたみ上げた慈海燈を前景とし、雨空の下にぼんやり遠く教会堂の尖塔が望まれる。櫛比した人家の屋根の波を踰え、鈍く光りつつ横わっている港の展望、福済寺は、長崎港の一番奥、東北よりの丘陵の上に位している。埋立地もなか・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・小銭湯の様な特別の湯槽をだれかの家へあずけて、湯のないものは、その家の家族のとは違った湯槽に入る様にしたらいいだろうのにと祖母にも云ったけれ共、湯のたて廻しなどが平常気の置けない交際機関になって居るので、今急にそれをやめれば皆が不自由するし・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ 田舎からぽっと出の女中が、銭湯の帰り何か変なものをさげて叱鳴って歩く男の気違が来ると横丁にぴったりと息をころして行きすぎるのを待って家へ走りかえったと云う話なんかも思い出す。「のれん」の中に首をつっこんでフーフー云いながら食べて居・・・ 宮本百合子 「夜寒」
・・・殉死の先登はこの人で、三月十七日に春日寺で切腹した。十八歳である。介錯は門司源兵衛がした。原田は百五十石取りで、お側に勤めていた。四月二十六日に切腹した。介錯は鎌田源太夫がした。宗像加兵衛、同吉太夫の兄弟は、宗像中納言氏貞の後裔で、親清兵衛・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・大阪ではこの太郎兵衛のような男を居船頭と言っていた。居船頭の太郎兵衛が沖船頭の新七を使っているのである。 元文元年の秋、新七の船は、出羽国秋田から米を積んで出帆した。その船が不幸にも航海中に風波の難に会って、半難船の姿になって、横み荷の・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫