・・・して見れば張三も李四も人は人に相違なけれど、是れ人の一種にして真の人にあらず。されば未だ全く人の意を見わすに足らず。蓋し人の意は我脳中の人に於て見わるるものなれど、実際箇々の人に於て全く見わるるものにあらず。其故如何と尋るに、実際箇々の人に・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・終六言を三三調に用いたるは蕪村の創意にやあらん。その例、嵯峨へ帰る人はいづこの花に暮れし一行の雁や端山に月を印す朝顔や手拭の端の藍をかこつ水かれ/″\蓼かあらぬか蕎麦か否か柳散り清水涸れ石ところ/″\我をいとふ隣・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・そいつらを皆病気に罹らせて自分のように朝晩地獄の責苦にかけてやったならば、いずれも皆尻尾を出して逃出す連中に相違ない。とにかく自分は余りの苦みに天地も忘れ人間も忘れ野心も色気も忘れてしもうて、もとの生れたままの裸体にかえりかけたのである。諸・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・ ベースボールいまだかつて訳語あらず、今ここに掲げたる訳語はわれの創意に係る。訳語妥当ならざるは自らこれを知るといえども匆卒の際改竄するに由なし。君子幸に正を賜え。升 附記・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・「ぬすとはたしかに盗森に相違ない。おれはあけがた、東の空のひかりと、西の月のあかりとで、たしかにそれを見届けた。しかしみんなももう帰ってよかろう。粟はきっと返させよう。だから悪く思わんで置け。一体盗森は、じぶんで粟餅をこさえて見たくてた・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・山の岩石の構造の相違やそこを登攀する技術の相違や雪の質、氷河の性質等に就いてカメラがもっと科学的に活用されていたらばあれだけの長さの内容をもっと豊富にし得たであろう。 ソヴェト同盟のシュミット博士一行の極地探険の記録映画は誠に感銘深いも・・・ 宮本百合子 「イタリー芸術に在る一つの問題」
・・・、猛然と自分のかけられてきた師範学校的世界観の魔睡を批判しはじめる。佐田の煩悶がかくして始る。佐田は神経的に正義派的に、彼の認識の中で一般化されている児童の「意欲をもたぬ幼年期の純真さ、無邪気さ」、創意性などを計量し、「労作にむすびついた教・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・もしも彼女が、上成績で学位をとったことを、これから安楽な奥さん生活を営むためにより有利な条件として利用しようとでもする俗っぽい性根であったなら、決してピエール・キュリーのような天才的な、創意にみちた科学者の人柄と学問の立派さを理解することは・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
・・・ 女性のうちなる母性のこんこんとした泉に美があるなら、それは、次から次へと子を産み出してゆく豊饒な胎だけを生物的にあがめるばかりではなくて、母が、愛によってさとく雄々しく、建設の機転と創意にみちているからでなくてはならないだろう。 ・・・ 宮本百合子 「結婚論の性格」
・・・議論としては異議を認めなかった小市民知識人の大部分も、実際生活では自分たちのうけた知識人としての教養によって日々一定の時間に出勤し、或は労働し、同僚・上役との接触に揉まれ、技術上の問題、技術上の自己の創意性とそれを阻む諸事情を経験しつつある・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
出典:青空文庫