・・・ 汗じみて色の変わった縮布の洋服を着て脚絆の紺もあせ草鞋もぼろぼろしている。都からの落人でなければこんな風をしてはいない。すなわち上田豊吉である。 二十年ぶりの故郷の様子は随分変わっていた。日本全国、どこの城下も町は新しく変わり、士・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・「どうも今度の病気は爽快せん」という声さえ衰えて沈んでいる。「御大事になされませんと……」「イヤ私も最早今度はお暇乞じゃろう」「そんなことは!」と細川は慰さめる積りで微笑を含んだ。しかし老人は真面目で「私も自分の死期の解・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・そして、彼が軍艦に乗り組んでそこでの生活を目撃しながら、その心眼に最もよく這入ったものは、士官若しくはそれ以上の人々の生活と、その愉快なことゝ、戦争の爽快さであって、下級の水兵の生活は、その関心外にあった。たゞ、僅かに水兵の石炭積みの苦痛が・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・前の嚊にこそ血筋は引け、おらには縁の何も無いが、おらあ源三が可愛くって、家へ帰るとあいつめが叔父さん叔父さんと云いやがって、草鞋を解いてくれたり足の泥を洗ってくれたり何やかやと世話を焼いてくれるのが嬉しくてならない。子という者あ持ったことも・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・苦しさ耐えがたけれど、銭はなくなる道なお遠し、勤という修行、忍と云う観念はこの時の入用なりと、歯を切ってすすむに、やがて草鞋のそこ抜けぬ。小石原にていよいよ堪え難きに、雨降り来り日暮るるになんなんたり。やむをえず負える靴をとりおろして穿ち歩・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・松の嵐も続いては吹かず息を入れてからが凄まじいものなり俊雄は二月三月は殊勝に消光たるが今が遊びたい盛り山村君どうだねと下地を見込んで誘う水あれば、御意はよし往なんとぞ思う俊雄は馬に鞭御同道仕つると臨時総会の下相談からまた狂い出し名を変え風俗・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・一里も二里もあるところから通うという近在の生徒などは草鞋穿でやって来た。 まだ時が早くて、高瀬は先生の室を見る暇があった。教室の上にある二階の角が先生のデスクや洋風の書架の置並べてあるところだ。亜米利加に居た頃の楽しい時代でも思出したよ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・青扇が日頃、へんな自矜の怠惰にふけっているのを真似て、この女も、なにかしら特異な才能のある夫にかしずくことの苦労をそれとなく誇っているのにちがいないと思ったのである。爽快な嘘を吐くものかなと僕は内心おかしかった。けれどこれしきの嘘には僕も負・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・いやらしい、煩瑣な堂々めぐりの、根も葉もない思案の洪水から、きれいに別れて、ただ眠りたい眠りたいと渇望している状態は、じつに清潔で、単純で、思うさえ爽快を覚えるのだ。私など、これはいちど、軍隊生活でもして、さんざ鍛われたら、少しは、はっきり・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・私は、かれの言葉に、爽快なものを感じたほどなのであるが、けれども、ひとの家の細いことにまで触れるのは、私は不安で、いやだから、すぐに話題をそらした。「つるは、いくつでなくなったのですか?」「母ですか。母は、三十六でなくなりました。立・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
出典:青空文庫