・・・俺はあのオオクションへ行った帰りに租界の並み木の下を歩いて行った。並み木の槐は花盛りだった。運河の水明りも美しかった。しかし――今はそんなことに恋々としている場合ではない。俺は昨夜もう少しで常子の横腹を蹴るところだった。……「十一月×日・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・こいつは上海の租界の外に堂々たる洋館を構えていたもんだ。細君は勿論、妾までも、………」「じゃあの女は芸者か何かかい?」「うん、玉蘭と言う芸者でね、あれでも黄の生きていた時には中々幅を利かしていたもんだよ。………」 譚は何か思い出・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・沼津の田舎へ疎開していたのですけど、これから……」「京都へ……?」「ええ」 じゃ、自分たちは大阪までだから、京都まで話が出来ると思うと、白崎は何かほのぼのとたのしかったが、ふと、赤井が二人の話ののけ者になっているのに気がついたの・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・帝塚山のお宅の方は助かったんだから、疎開させとけば……」と言い掛けると、「阿呆らしい。帝塚山へあの本が置けるものですか。第一……」 そして暫らく言い詰っていたが、やがて思い切って言いましょうと、置注ぎの盃をぐっと飲みほした。「―・・・ 織田作之助 「世相」
・・・十日ほどして同じ雑誌でT・Mという福井に疎開している詩人をよんで、また座談会をした。T・Iが司会、酒……。やはりT・MはH・Kがしたように、T・Iと抱き合って、泣きだしたという。H・KもT・MもT・Iも同じ四十代である。私はこの話をきいた時・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・って、所謂あの軍官の酒さかなが、こちらへも少しずつ流れて来るような道を、ひらいて下さるお方もあり、対米英戦がはじまって、だんだん空襲がはげしくなって来てからも、私どもには足手まといの子供は無し、故郷へ疎開などする気も起らず、まあこの家が焼け・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・て来て、とうとう或る夜、裏の竹藪に一弾が落ちて、そのためにお勝手とお便所と三畳間が滅茶々々になり、とても親子四人その半壊の家に住みつづける事が出来なくなりましたので、私と二人の子供は、私の里の青森市へ疎開する事になり、夫はひとり半壊の家の六・・・ 太宰治 「おさん」
・・・先妻は、白痴の女児ひとりを残して、肺炎で死に、それから彼は、東京の家を売り、埼玉県の友人の家に疎開し、疎開中に、いまの細君をものにして結婚した。細君のほうは、もちろん初婚で、その実家は、かなり内福の農家である。 終戦になり、細君と女児を・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・羽左衛門が疎開先で死んだという小さい記事は嘘でなかった。 サロンは、その戦時日本の新聞よりもまだ悪い。そこでは、人の生死さえ出鱈目である。太宰などは、サロンに於いて幾度か死亡、あるいは転身あるいは没落を広告せられたかわからない。 私・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・「うん、召集と同時に女房と子供は、こっちの家へ疎開させて置いた。なあに、知らせるに及ばんさ。外国土産でもたくさんあるんならいいけど、どうもねえ、何もありやしないんだ。」と言って、顔をそむけ、窓外の風景を眺める。「これを持って行き給え・・・ 太宰治 「雀」
出典:青空文庫