・・・刻んだ糸を巻いて、丹で染めるんだっていうんですわ。」「そこで、「友禅の碑」と、対するのか。しかし、いや、とにかく、悪い事ではない。場所は、位置は。」「さあ、行って見ましょう。半分うえ出来ているようです。門を入って、直きの場所です。」・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ お袋は、それから、なお世間話を初める、その間々にも、僕をおだてる言葉を絶たないと同時に、自分の自慢話しがあり、金はたまらないが身に絹物をはなさないとか、作者の誰れ彼れはちょくちょく遊びに来るとか、商売がらでもあるが国府津を初め、日光、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・覗目鏡を初める時分であった。椿岳は何処にもいる処がないので、目鏡の工事の監督かたがた伝法院の許しを得て山門に住い、昔から山門に住ったものは石川五右衛門と俺の外にはあるまいと頗る得意になっていた。或人が、さぞ不自由でしょうと訊いたら、何にも不・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・女の写真屋を初めるというのも、一人の女に職業を与えるためというよりは、救世の大本願を抱く大聖が辻説法の道場を建てると同じような重大な意味があった。 が、その女は何者である乎、現在何処にいる乎と、切込んで質問すると、「唯の通り一遍の知り合・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・そして、お姫さまの赤い着物に、日が映って、海の上を染めるよう見えたのです。 しかし、不思議なことには、船はだんだんと水の中に深く沈んでいきました。侍女たちが手に手を取って投げる金銀の輝きと、お姫さまの赤い着物とが、さながら雲の舞うような・・・ 小川未明 「赤い姫と黒い皇子」
・・・赤玉が屋上にムーラン・ルージュをつけて道頓堀の夜空を赤く青く染めると、美人座では二階の窓に拡声機をつけて、「道頓堀行進曲」「僕の青春」「東京ラプソディ」などの蓮ッ葉なメロディを戎橋を往き来する人々の耳へひっきりなしに送っていた。拡声機から流・・・ 織田作之助 「世相」
・・・オレンジの混った弱い日光がさっと船を漁師を染める。見ている自分もほーっと染まる。「そんな病弱な、サナトリウム臭い風景なんて、俺は大嫌いなんだ」「雲とともに変わって行く海の色を褒めた人もある。海の上を行き来する雲を一日眺めているの・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・そんなとき人は、今まで自然のなかで忘れ去っていた人間仲間の楽しさを切なく胸に染めるのである。そしてそんなこともこのアーチ形の牢門のさせるわざなのであった。 私が寐る前に入浴するのはいつも人々の寝しずまった真夜中であった。その時刻にはもう・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・場合に相談相手とするほどの友だちもなく、打ちまけて置座会議に上して見るほどの気軽の天稟にもあらず、いろいろ独りで考えた末が日ごろ何かに付けて親切に言うてくれるお絹お常にだけ明かして見ようとまずお絹から初めるつもりにてかくはふるまいしまでなり・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・町から小一里も行くとかの字港に出る、そこから船でつの字崎の浦まで海上五里、夜のうちに乗って、天明にさの字浦に着く、それから鹿狩りを初めるというのが手順であった。『まるで山賊のようだ!、』と今井の叔父さんがその太い声で笑いながら怒鳴った。・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
出典:青空文庫