・・・けれども、あの議論の上へ上へとこれからの人が、新知識を積んで行って、私の疎漏なところを補い、誤謬のあるところを正して下さったならば、批評学が学問として未来に成立せんとは限らんだろうと思います。私はある事情から重に創作の方をやる考えであります・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ その頃の哲学科は、井上哲次郎先生も一両年前に帰られ、元良、中嶋両先生も漸く教授となられたので、日本人の教授が揃うたのだが、主としてルードヴィヒ・ブッセが哲学の講義をしていた。この人はその頃まだ三十そこらの年輩の人であった。ベルリンでロ・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・親子兄弟相変らず揃うてお勤めなさる、めでたいことじゃと言うのでござります。その詞が何か意味ありげで歯がゆうござりました」 父弥一右衛門は笑った。「そうであろう。目の先ばかり見える近眼どもを相手にするな。そこでその死なぬはずのおれが死んだ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫