・・・そこで、娘はそれを観音様の御告だと、一図に思いこんでしまいましたげな。」「はてね。」「さて、夜がふけてから、御寺を出て、だらだら下りの坂路を、五条へくだろうとしますと、案の定後から、男が一人抱きつきました。丁度、春さきの暖い晩でござ・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・見れば前には女が一人、何か云いたげに佇んでいる。南蛮寺の堂内へはただ見慣れぬ磔仏を見物に来るものも稀ではない。しかしこの女のここへ来たのは物好きだけではなさそうである。神父はわざと微笑しながら、片言に近い日本語を使った。「何か御用ですか・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・と云ったら、相手が「誓い申すとの事故、それより上人も打ちとけて、種々問答せられたげじゃ。」と書いてあるが、その問答を見ると、最初の部分は、ただ昔あった事実を尋ねただけで、宗教上の問題には、ほとんど一つも触れていない。 それがウルスラ上人・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・ 吉助「えす・きりすと様、さんた・まりや姫に恋をなされ、焦れ死に果てさせ給うたによって、われと同じ苦しみに悩むものを、救うてとらしょうと思召し、宗門神となられたげでござる。」 奉行「その方はいずこの何ものより、さような教を伝授された・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・そして最後の一瞥を例の眠たげな、鼠色の娘の目にくれて置いて、灰色の朝霧の立ち籠めている、湿った停車場の敷石の上に降りた。 * * *「もう五分で六時だ。さあ、時間だ。」検事はこ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・昔その唐の都の大道を、一時、その何でござりまして、怪しげな道人が、髪を捌いて、何と、骨だらけな蒼い胸を岸破々々と開けました真中へ、人、人という字を書いたのを掻開けて往来中駆廻ったげでござります。いつかも同役にも話した事でござりまするが、何の・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・そして、なにかいいたげなようすをして、ちょっとくびをかしげましたが、ついそのまま行ってしまいました。 太郎は畑の中に立って、しょんぼりとして、少年のゆくえを見おくりました。いつしかそのすがたは、白い道のかなたに消えてしまったのです。けれ・・・ 小川未明 「金の輪」
・・・一遍峻さんに聞かしたげなさい」 泣きそうに鼻をならし出したので信子が手をひいてやりながら歩き出した。「これ……それから何というつもりやったんや?」「これ、蕨とは違いますって言うつもりやったんやなあ」信子がそんなに言って庇護ってや・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・それで納得のいった吉田ははじめてそうではない旨を返事すると、その女はその返事には委細かまわずに、「その病気に利くええ薬を教えたげまひょか」 と、また脅かすように力強い声でじっと吉田の顔を覗き込んだのだった。吉田は一にも二にも自分が「・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・舷の触れ合う音、とも綱の張る音、睡たげな船の灯、すべてが暗く静かにそして内輪で、柔やかな感傷を誘った。どこかに捜して宿をとろうか、それとも今の女のところへ帰ってゆこうか、それはいずれにしても私の憎悪に充ちた荒々しい心はこの港の埠頭で尽きてい・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
出典:青空文庫