・・・は余り気に掛けない方で、大抵は雲煙過眼してしまうし、鴎外の気質はおおよそ呑込んでるから、威丈高に何をいおうと格別気にも留めなかったが、誰だか鴎外に注意したものがあったと見えて、その後偶然フラリと鴎外を尋ねると、私の顔を見るなり、「イヤ失敬し・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・とお光が耳元で訊ねると、病人はわずかに頷く。 で、水を含ますと、半死の新造は皺涸れた細い声をして、「お光……」と呼んだ。「はい」と答えて、お光はまず涙を拭いてから、ランプを片手に自分の顔を差し寄せて、「私はここにいますよ、ね、分りま・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 雑誌社へきけば判るだろうと思い、文芸春秋社へ行き、オール読物の編輯をしているSという友人を訪ねると、Sはちょうど電話を掛けているところだった。「もしもし、こちらは文芸春秋のSですが、武田さん……そう、武麟さんの居所知りませんか。え・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・私は藤沢さんを訪ねるとか、手紙を出すかして、共に悲哀を分とうと思ったが、仕事にさまたげられたのと、極度の疲労状態のため、果せなかった。莫迦みたいに一人蒲団にもぐり込んで、ぼんやり武田さんのことを考えていた。特徴のある武田さんの笑い声を耳の奥・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・駅とは正反対の方角ゆえ、その道から駅へ出られるとも思えず、なぜその道を帰って来るのだろうと不審だったが、そしてまた例のものぐさで訊ねる気にもなれなかったが、もしかしたらバスか何かの停留所があってそこから町へ行けるではないかと、かねがね考えて・・・ 織田作之助 「道」
・・・けれども彼には何処と云って訪ねる処が無い。でやっぱし、十銭持つと、渋谷へ通った。 処が最近になって、彼はKの処からも、封じられることになった。それは、Kの友人達が、小田のような人間を補助するということはKの不道徳だと云って、Kを非難し始・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・何だと訊ねると、みんな顔を見合わせて笑う、中には目でよけいな事をしゃべるなと止める者もある。それにかまわずかの水兵の言うには、この仲間で近ごろ本国から来た手紙を読み合うと言うのです。自分。そいつは聞きものだぜひ傍聴したいものだと言って座を構・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・さて―― もしお政が気の勝ている女ならば、自分がその夜三円持て母を尋ねると言えば、「質屋から持って来たお金なんか厭だと被仰ったのだから持て行かなくったって可う御座いますよ」と言い放って口惜し涙を流すところだが、お政にはそれが出来ない・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 拙者ばかりでなくこういう風であるから無論富岡を訪ねる者は滅多になかった、ただ一人、御存知の細川繁氏のみは殆ど毎晩のように訪ねて怒鳴られながらも慰めていたらしい。 然るに昨夕のこと富岡老人近頃病床にある由を聞いたから見舞に出かけた、・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・夕暮に僕は横浜野毛町に桂を訪ねると、宿の者が「桂さんはまだ会社です」というから、会社の様子も見たく、その足で会社を訪うた。 桂の仕事をしている場処に行ってみると、僕は電気の事を詳しく知らないから十分の説明はできないが、一本の太い鉄柱を擁・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
出典:青空文庫