・・・此れに反し、縦令形体はなくとも作者の主観なり神経なりが通って居ればそれは現実である。故に一人に対して現実に触れて居るとか触れて居ないとかいう事を眼に見えると否とに依って云々する事は甚だ不合理の事であって、人間のセンチメント、即ち作者の神経、・・・ 小川未明 「絶望より生ずる文芸」
・・・ お光は黙って席を譲った。 為さんは小机の前にいざり寄って、線香を立て、鈴を鳴らして殊勝らしげに拝んだが、座を退ると、「お寂しゅうがしょうね?」と同じことを言う。 お光は喩えようのない嫌悪の目色して、「言わなくたって分ってらね」・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・或夜のこと、それは冬だったが、当時私の習慣で、仮令見ても見ないでも、必ず枕許に五六冊の本を置かなければ寝られないので、その晩も例の如くして、最早大分夜も更けたから洋燈を点けた儘、読みさしの本を傍に置いて何か考えていると、思わずつい、うとうと・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・曲っててもいい、女房になってくれる女があれば、その女のために一所懸命やろうと思っていたが、到頭その機会が来た、自分は今までの世の中に一人ぼっちだという寂しさからつい僻みが出てやけも起したが、これからは例え二階借りでも世帯を持つのだから、男に・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ いや出来ようが出来まいが、何でも角でも動かねばならぬ、仮令少しずつでも、一時間によし半歩ずつでも。 で、弥移居を始めてこれに一朝全潰れ。傷も痛だが、何のそれしきの事に屈るものか。もう健康な時の心持は忘たようで、全く憶出せず、何となく痛・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・と上村は少し躍起になって、「例えてみればそんなものなんで、理想に従がえば芋ばかし喰っていなきゃアならない。ことによると馬鈴薯も喰えないことになる。諸君は牛肉と馬鈴薯とどっちが可い?」「牛肉が可いねエ!」と松木は又た眠むそうな声で真面・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・然し現在の母が子の抽斗から盗み出したので、仮令公金であれ、子の情として訴たえる理由にはどうしてもゆかない。訴たえることは出来ず、母からは取返えすことも出来ないなら、窃かに自分で弁償するより外の手段はない。八千円ばかりの金高から百円を帳面で胡・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 母は毎日のように、女はこわいものだという講釈をして聴かし、いろいろと昔の人のことや、城下の若い者の身の上などを例えに引いて話すのでございます。安珍清姫のことまで例えに引きました。外面如菩薩内心如夜叉などいう文句は耳にたこのできるほど聞・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・あの様な贋物があるものではございますまい。仮令贋物にしましたところで、手前の方では結構でございます、頂戴致して置きまして後悔はございません」とやり返した。「そんなにこちらの言葉を御信用がないならば、二つの鼎を列べて御覧になったらば如何です」・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・こはおもしろしと走り寄りて見下せば、川は開きたる扇の二ツの親骨のように右より来りて折れて左に去り、我が立つところの真下の川原は、扇の蟹眼釘にも喩えつべし。ところの名を問えば象が鼻という。まことにその名空しからで、流れの下にあたりて長々と川中・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
出典:青空文庫