・・・どうせ、無事に帰るつもりは無いて、細君を離縁する云い出し、自分の云うことを承知せんなら、露助と見て血祭りにする云うて、剣を抜いて追いまわしたんや。」 こう云って、友人は鳥渡僕から目を離して、猪口に手をかけた。僕も一杯かさねてから、「・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・椿岳を語る前に先ずこの不思議な人物を出した淡島氏の家系に遡って一家の来歴を語るは、江戸の文化の断片として最も興味に富んでおる。一 淡島氏の祖――馬喰町の軽焼屋 椿岳及び寒月が淡島と名乗るは維新の新政に方って町人もまた苗字を戸・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・丹羽さんが青年会において『基督教青年』という雑誌を出した。それで私のところへもだいぶ送ってきた。そこで私が先日東京へ出ましたときに、先生が「ドウです内村君、あなたは『基督教青年』をドウお考えなさいますか」と問われたから、私は真面目にまた明白・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ この手紙を書いた女は、手紙を出してしまうと、直ぐに町へ行って、銃を売る店を尋ねた。そして笑談のように、軽い、好い拳銃を買いたいと云った。それから段々話し込んで、に尾鰭を付けて、賭をしているのだから、拳銃の打方を教えてくれと頼んだ。そし・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
だんだん寒くなるので、義雄さんのお母さんは精を出して、お仕事をなさっていました。「きょうのうちに、綿をいれてしまいたいものだ。」と、ひとりごとをしながら、針を持つ手を動かしていられました。 秋も深くなって、日脚は短くなりました・・・ 小川未明 「赤い実」
・・・ 寝床の裾の方の壁ぎわに置いてあったのを出して見せると、上さんはその鼻緒を触ってみて、「じゃ、これでも預かっとこう。お前さんが明朝出かける時には、何か家の穿物を貸してあげるから。」 上さんはそのまま下駄を持って階下へ降りて行った・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・こんな事のあったとは、彼は夢にも知らなかった、相変らず旅廻りをしながら、不図或宿屋へ着くと、婢女が、二枚の座蒲団を出したり、お膳を二人前据えたりなどするので「己一人だよ」と注意をすると、婢女は妙な顔をして、「お連様は」というのであった、彼も・・・ 小山内薫 「因果」
・・・ 提灯が物影から飛び出して来た。温泉へ来たのかという意味のことを訊かれたので、そうだと答えると、もういっぺんお辞儀をして、「お疲れさんで……」 温泉宿の客引きだった。頭髪が固そうに、胡麻塩である。 こうして客引きが出迎えてい・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・俺も森を畑へ駈出して慥か二三発も撃たかと思う頃、忽ちワッという鬨の声が一段高く聞えて、皆一斉に走出す、皆走出す中で、俺はソノ……旧の処に居る。ハテなと思た。それよりも更と不思議なは、忽然として万籟死して鯨波もしなければ、銃声も聞えず、音とい・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
一 掃除をしたり、お菜を煮たり、糠味噌を出したりして、子供等に晩飯を済まさせ、彼はようやく西日の引いた縁側近くへお膳を据えて、淋しい気持で晩酌の盃を嘗めていた。すると御免とも云わずに表の格子戸をそうっと開け・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫