・・・「鋤は要らん、埋ちゃいかん、活て居るよ!」 と云おうとしたが、ただ便ない呻声が乾付いた唇を漏れたばかり。「やッ! こりゃ活きとるンか? イワーノフじゃ! 来い来い、早う来い、イワーノフが活きとる。軍医殿を軍医殿を!」 瞬く間・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・「出来ませんな、断じて出来るこっちゃありません!」 斯う呶鳴るように云った三百の、例のしょぼ/\した眼は、急に紅い焔でも発しやしないかと思われた程であった。で彼はあわてて、「そうですか。わかりました。好ござんす、それでは十日には・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。 何があんな花弁を作り、何があんな蕊を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢・・・ 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
・・・「コロンブスは佳く出来ていたね、僕は驚いちゃッた。」 それから二人は連立って学校へ行った。この以後自分と志村は全く仲が善くなり、自分は心から志村の天才に服し、志村もまた元来が温順しい少年であるから、自分をまたなき朋友として親しんでく・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・一見すると使い古され、しわくちゃになっていた。しかし、よく見ると、手垢が紙にしみこんでいなかった。皺も一時に、故意につけられたものだ。 郵便局では、隣にある電信隊の兵タイが、すぐやってきて、札を透かしたり指でパチ/\はじいたりした。珍し・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・「ほんとに嫌な人だっちゃない。あら、お前の頸のところに細長い痣がついているよ。いつ打たれたのだい、痛そうだねえ。」と云いながら傍へ寄って、源三の衣領を寛げて奇麗な指で触ってみると、源三はくすぐったいと云ったように頸を縮めて障りながら・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・「お母ッちや、お母ッちゃてば!」 汽車に乗って遥々と出てきたのだが、然し母親が考えていたよりも以上に、監獄のコンクリートの塀が厚くて、高かった。それは母親の気をテン倒させるに充分だった。しかもその中で、あの親孝行ものゝ健吉が「赤い」・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・秋子は見届けしからば御免と山水と申す長者のもとへ一応の照会もなく引き取られしより俊雄は瓦斯を離れた風船乗り天を仰いで吹っかける冷酒五臓六腑へ浸み渡りたり それつらつらいろは四十七文字を按ずるに、こちゃ登り詰めたるやまけの「ま」が脱ければ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・七「他人のものを当にしちゃアいかん、他人のものを当にして物を貰うという心が一体賤しいじゃアないか」内儀「賤しいたって貴方、お米を買うことが出来ませんよ、今日も米櫃を払って、お粥にして上げましたので」七「それは/\苦々しいことで」・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・日ごろ、次郎びいきの下女は、何かにつけて「次郎ちゃん、次郎ちゃん」で、そんな背の低いことでも三郎をからかうと、そのたびに三郎はくやしがって、「悲観しちまうなあ――背はもうあきらめた。」 と、よく嘆息した。その三郎がめきめきと延びて来・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫