・・・は生れぬものとすれば、そういう詩、そういう文学は、我々――少くとも私のように、健康と長寿とを欲し、自己及自己の生活を出来るだけ改善しようとしている者に取っては、無暗に強烈な酒、路上ででも交接を遂げたそうな顔をしている女、などと共に、全然不必・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・「恐らく不老長寿の薬になる――近頃はやる、性の補強剤に効能の増ること万々だろう。」「そうでしょうか。」 その頬が、白く、涼しい。「見せろよ。」 低い声の澄んだ調子で、「ほほほ。」 と莞爾。 その口許の左へ軽く・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・この満場爪も立たない聴衆の前で椿岳は厳乎らしくピヤノの椅子に腰を掛け、無茶苦茶に鍵盤を叩いてポンポン鳴らした。何しろ洋楽といえば少数の文明開化人が横浜で赤隊の喇叭を聞いたばかりの時代であったから、満場は面喰って眼を白黒しながら聴かされて煙に・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ その年の暮、二ツ井戸の玉突屋日本橋クラブの二階広間で広沢八助連中素人浄瑠璃大会が開かれ、聴衆約百名、盛会であった。軽部村彦こと軽部村寿はそのときはじめて高座に上った。はじめてのことゆえむろん露払いで、ぱらりぱらりと集りかけた聴衆の・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ 読者や批評家や聴衆というものは甘いものであって、先日私はある文芸講演会でアラビヤ語について話をし、私がいま読売新聞に書いている小説に出て来る「キャッキャッ」という言葉は実はアラビヤ語であって、一人寂しく寝るという意味を表現する言葉であ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・私が聴いたのは何週間にもわたる六回の連続音楽会であったが、それはホテルのホールが会場だったので聴衆も少なく、そのため静かなこんもりした感じのなかで聴くことができた。回数を積むにつれて私は会場にも、周囲の聴衆の頭や横顔の恰好にも慣れて、教室へ・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・ 聴衆の中には、一坪の田畑も所有しない純小作人もある。が、五段歩ほど田を持っている自作農もいる。又、一反歩ほど持っている者もいる。そこで「吾々貧乏人は……」と云われても、五反歩の自作農は、自分にはあまり関係していないことを喋っているよう・・・ 黒島伝治 「選挙漫談」
・・・此地には長寿の人他処に比べて多く、女も此地生れなるは品よくして色麗わしく、心ざま言葉つきも優しき方なるが多きよし、気候水土の美なればなるべし。上陸して逍遥したきは山々なれど雨に妨げられて舟を出でず。やがてまた吹き来し強き順風に乗じて船此地を・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・太政大臣公相は外法のために生首を取られたが、この人は天文から文禄へかけての恐ろしい世に何の不幸にも遭わないで、無事に九十歳の長寿を得て、めでたく終ったのである。それは名高い関白兼実の後の九条植通、玖山公といわれた人である。 植通公の若い・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・わたくしは、はじめよりそれをのぞまないのである。わたくしは、長寿かならずしも幸福ではなく、幸福はただ自己の満足をもって生死するにありと信じていた。もしまた人生に、社会的価値とも名づけるべきものがあるとすれば、それは、長寿にあるのではなくて、・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
出典:青空文庫