・・・川の空をちりちりと銀の鋏をつかうように、二声ほど千鳥が鳴いたあとは、三味線の声さえ聞えず戸外も内外もしんとなった。きこえるのは、薮柑子の紅い実をうずめる雪の音、雪の上にふる雪の音、八つ手の葉をすべる雪の音が、ミシン針のひびくようにかすかな囁・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・ 学校は、便宜に隊を組んで避難したが、皆ちりちりになったのである。 と見ると、恍惚した美しい顔を仰向けて、枝からばらばらと降懸る火の粉を、霰は五合と掬うように、綺麗な袂で受けながら、「先生、沢山に茱萸が。」 と云って、ろうた・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・蝉の声もいつかきこえず、部屋のなかに迷い込んで来た虫を、夏の虫かと思って、団扇ではたくと、ちりちりとあわれな鳴声のまま、息絶える。鈴虫らしい。八月八日、立秋と、暦を見るまでもなく、ああ、もう秋だな、と私は感ずるのである。ひと一倍早く……。・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・ろうたけた祖母の白い顔の、額の両端から小さい波がちりちりと起り、顔一めんにその皮膚の波がひろがり、みるみる祖母の顔を皺だらけにしてしまった。人は死に、皺はにわかに生き、うごく。うごきつづけた。皺のいのち。それだけの文章。そろそろと堪えがたい・・・ 太宰治 「玩具」
・・・心細げの小さい葉だけが、ちりちり冷風に震えている。この薔薇は、私が、瞞されて買ったのである。その欺きかたが、浅墓な、ほとんど暴力的なものだったので、私は、そのとき実に、言いよう無く不愉快であった。私が九月のはじめ、甲府から此の三鷹の、畑の中・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・、というが、そのときには、実際、お隣りの家の燃えている軒と、私の頬杖ついている窓縁とは、二間と離れていず、やがてお隣りの軒先の柿の木にさえ火が燃え移って、柿の枯葉が、しゃあと涼しい音たてて燃えては黒くちりちり縮み、その燃えている柿の一枝が、・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・鏝で勢いよくきゅうとなでて、ちりちりぱっとくくりをつけて、パイプをくわえて考え込んで、モンパリー、チッペラリー、ラタヽパン。そこでノアルで細筆のフランス文字、ブルバールデトセトラ。 四 脚は一八〇プロセントく・・・ 寺田寅彦 「二科狂想行進曲」
・・・が出来そうにまで、舌苔の様なものをつけさせた上にこんな事までして行ったかと思うと、あの髪のちりちりの四角ばった頭の女が憎々しく思い出される。 母が何か少し差図めいた事を云うと、すぐ変な顔をし万事のみこんで居ますと云う様な態度が、居る時か・・・ 宮本百合子 「一日」
出典:青空文庫