・・・ いきなり、向うの柏ばやしの方から、まるで調子はずれの途方もない変な声で、「欝金しゃっぽのカンカラカンのカアン。」とどなるのがきこえました。 清作はびっくりして顔いろを変え、鍬をなげすてて、足音をたてないように、そっとそっちへ走・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・ムラードの森なんか、まだよっぽどあるだろう。ねえ、ミーロ君。」「よっぽどあるとも。」「じゃ、行こう、まあもっと行って花の番号を見てごらん。やっぱり二千とか三千とかだから。」 ミーロはうなずいてあるきだしました。ファゼーロもだまっ・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・蟹の子供らもぽっぽっぽっとつづけて五六粒泡を吐きました。それはゆれながら水銀のように光って斜めに上の方へのぼって行きました。 つうと銀のいろの腹をひるがえして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行きました。『クラムボンは死んだよ。』『クラ・・・ 宮沢賢治 「やまなし」
・・・ 狐は可笑しそうに口を曲げて、キックキックトントンキックキックトントンと足ぶみをはじめてしっぽと頭を振ってしばらく考えていましたがやっと思いついたらしく、両手を振って調子をとりながら歌いはじめました。「凍み雪しんこ、堅雪かんこ、・・・ 宮沢賢治 「雪渡り」
・・・ СССРの、ほんとの端っぽが、ここだ。 モスクワからウラジヴォストクまで九千二百三十五キロメートル。ソヴェトは五ヵ年計画でここに新たな大製麻工場を建てようとしている。同時に、日本海をこえて来る資本主義、帝国主義を、この海岸から清掃・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・その中で、赤っぽいインクで刷ってある大判のが、枠の形も周囲の余白もたっぷりしていて、柔らかみもあり、気に入った。それを使って安心していたら、去年の煙草値上げ前後から紙質が急に悪くなった。元のと比べて見ると、枠の横もつまり、余白もせまくなり、・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
・・・これまでの常識は主観的といえば身に近く熱っぽくあたたかいもの、客観性というものは冷たい理智的なものという範疇で簡単に片づけて来ているけれども、人間の精神の豊饒さはそんな素朴な形式的なものではない。女を度しがたい的可愛さにおく女の主観的生きか・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・「いやだ――何だか小っぽけな癖に生意気らしいんですもの」 その晩泊り、三人一つ蚊帳に眠った。その時、土曜日に何処かへ行きましょうと云った。 二 土曜日は四日で、あの大暴風雨であった。六日に麹町の網野・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・ あの草の根方に、小っぽけな人間の形をしたものが一杯居る。 それが皆、私のふだんから好いて居る西洋の何百年か前の着物を着て歩き廻って居る。 居る女達は、皆、私が絵で好いて居るゆったりと見事な身の廻りをして、小姓に長いスカートをか・・・ 宮本百合子 「草の根元」
・・・ 由子は漠然と懐しささえ感じて、そのメリンスの小っぽけな前掛に触って見た。前掛と云っても、袷の膝をよごさない為ほんの膝被いのつもり故、紫の布は僅か一尺余りの丈しかなかった。もう虫が喰っていた。ぽつぽつ小さい穴や大きな穴の出来たその古前掛・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
出典:青空文庫