・・・彼等のある一団は炎暑を重く支えている薔薇の葉の上にひしめき合った。またその一団は珍しそうに、幾重にも蜜のにおいを抱いた薔薇の花の中へまぐれこんだ。そうしてさらにまたある一団は、縦横に青空を裂いている薔薇の枝と枝との間へ、早くも眼には見えない・・・ 芥川竜之介 「女」
・・・陳は思わず塀の常春藤を掴んで、倒れかかる体を支えながら、苦しそうに切れ切れな声を洩らした。「あの手紙は、――まさか、――房子だけは――」 一瞬間の後陳彩は、安々塀を乗り越えると、庭の松の間をくぐりくぐり、首尾よく二階の真下にある、客・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・爾来彼は朋輩の軽蔑も意としないで、ただまめまめしく仕えていた。殊に娘の兼に対しては、飼犬よりもさらに忠実だった。娘はこの時すでに婿を迎えて、誰も羨むような夫婦仲であった。 こうして一二年の歳月は、何事もなく過ぎて行った。が、その間に朋輩・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・が、忠義と云うものは現在仕えている主人を蔑にしてまでも、「家」のためを計るべきものであろうか。しかも、林右衛門の「家」を憂えるのは、杞憂と云えば杞憂である。彼はその杞憂のために、自分を押込め隠居にしようとした。あるいはその物々しい忠義呼わり・・・ 芥川竜之介 「忠義」
一 なぜファウストは悪魔に出会ったか? ファウストは神に仕えていた。従って林檎はこういう彼にはいつも「智慧の果」それ自身だった。彼は林檎を見る度に地上楽園を思い出したり、アダムやイヴを思い出したりしていた。・・・ 芥川竜之介 「三つのなぜ」
・・・するとここにまた思いもよらない不思議が起ったと申しますのは、春日の御社に仕えて居りますある禰宜の一人娘で、とって九つになりますのが、その後十日と経たない中に、ある夜母の膝を枕にしてうとうとと致して居りますと、天から一匹の黒竜が雲のように降っ・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・と、その両肱は棚のようなものに支えられて、膝がしらも堅い足場を得ていた。クララは改悛者のように啜泣きながら、棚らしいものの上に組み合せた腕の間に顔を埋めた。 泣いてる中にクララの心は忽ち軽くなって、やがては十ばかりの童女の時のような何事・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・早や、これでは、玄武寺を倒に投げうっても、峰は水底に支えまい。 蘆のまわりに、円く拡がり、大洋の潮を取って、穂先に滝津瀬、水筋の高くなり行く川面から灌ぎ込むのが、一揉み揉んで、どうと落ちる……一方口のはけ路なれば、橋の下は颯々と瀬になっ・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・――面と向っては言いかねる、こんな時に持出す親はなし、やけに女房が産気づいたと言えないこともないものを、臨機縦横の気働きのない学芸だから、中座の申訳に困り、熱燗に舌をやきつつ、飲む酒も、ぐッぐと咽喉へ支えさしていたのが、いちどきに、赫となっ・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・……この巫女は、当年初に仕えたので、こうされるのが掟だと思って自由になったそうである。 宮奴が仰天した、馬顔の、痩せた、貧相な中年もので、かねて吶であった。「従、従、従、従、従七位、七位様、何、何、何、何事!」 笏で、ぴしゃりと・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
出典:青空文庫