ある夏の日、笠をかぶった僧が二人、朝鮮平安南道竜岡郡桐隅里の田舎道を歩いていた。この二人はただの雲水ではない。実ははるばる日本から朝鮮の国を探りに来た加藤肥後守清正と小西摂津守行長とである。 二人はあたりを眺めながら、・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・彼れは毎日毎日小屋の前に仁王立になって、五カ月間積り重なった雪の解けたために膿み放題に膿んだ畑から、恵深い日の光に照らされて水蒸気の濛々と立上る様を待ち遠しげに眺めやった。マッカリヌプリは毎日紫色に暖かく霞んだ。林の中の雪の叢消えの間には福・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ どういう積りで運命がそんな小康を私たちに与えたのかそれは分らない。然し彼はどんな事があっても仕遂ぐべき事を仕遂げずにはおかなかった。その年が暮れに迫った頃お前達の母上は仮初の風邪からぐんぐん悪い方へ向いて行った。そしてお前たちの中の一・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ めそめそ泣くような質ではないので、石も、日も、少しずつ積りました。 ――さあ、その残暑の、朝から、旱りつけます中へ、端書が来ましてね。――落目もこうなると、めったに手紙なんぞ覗いた事のないのに、至急、と朱がきのしてあったのを覚・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・通りかかり候折から、天地晦冥、雹の降ること凄まじく、且は電光の中に、清げなる婦人一人、同所、鳥博士の新墓の前に彳み候が、冷く莞爾といたし候とともに、手の壺微塵に砕け、一塊の鮮血、あら土にしぶき流れ、降積りたる雹を染め候が、赤き霜柱の如く、暫・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・なに政夫を学校へ遣ってしまいさえせば仔細はないと母の心はちゃんときまって居るらしく、「政や、お前はナ十一月へ入って直ぐ学校へやる積りであったけれど、そうしてぶらぶらして居ても為にならないから、お祭が終ったら、もう学校へゆくがよい。十七日・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ おやじがこういうもんだから、一と朝起きぬきに松尾へ往った、松尾の兼鍛冶が頼みつけで、懇意だから、出来合があったら取ってくる積りで、日が高くなると熱くてたまんねから、朝飯前に帰ってくる積りで出掛けた、おらア元から朝起きが好きだ、夏でも冬・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・この手紙は牧師の二度と来ぬように、謂わば牧師を避けるために書く積りで書き始めたものらしい。煩悶して、こんな手紙を書き掛けた女の心を、その文句が幽かに照し出しているのである。「先日おいでになった時、大層御尊信なすっておいでの様子で、お話に・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ しかし、冬となって、雪が山に積もり里に降るころになると、西の山に、またしても、ありありと牛女の黒い姿が現れました。村の人々や子供らは冬の間、牛女のうわさでもちきりました。そして、牛女の残していった子供は、恋しい母親の姿を、毎日のように・・・ 小川未明 「牛女」
・・・容易なだらけ切った気持ちで有るが儘の世相の外貌を描いただけで、尚お且つ現実に徹した積りでいるなど、真に飽きれ果てた話だ。こんなものが何んで現実主義といえよう。 前述の如く、純芸術的の作品が民衆に感動を与えるのは何の為めかというに、それは・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
出典:青空文庫