・・・ところが、枕木は炭焼竈の生木のように、雪の中で点火されぷす/\燻りながら炭になってしまうのだった。雪の中で燻る枕木は外へは火も煙も立てなかった。上から見れば、それは一分の故障もない完全な線路であった。歩哨にも警戒隊にも分らなかった。而も、そ・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・蒸気に転化する可能性を持っている。だから、兵卒に着目したことには意義がある。 花袋は、独歩の如く、将校はいゝんだが、下士以下は不道徳で、女を堕落させるというような見方はしていない。兵卒を一個の生物的な人間として見た。そして、一個の死に直・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・しかし、うしろからは、導火線に点火し終った井村がカンテラをさげ、早足に、しかもゆったりとやって来た。――そのカンテラがチラ/\見えた。それは、途中で、支坑へそれた。 市三は、ケージから四五間も手前で鉱車を止めた。そして、きまり悪るげにお・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・秀吉の智謀威力で天下は大分明るくなり安らかになった。東山以来の積勢で茶事は非常に盛んになった。茶道にも機運というものでがなあろう、英霊底の漢子が段に出て来た。松永弾正でも織田信長でも、風流もなきにあらず、余裕もあった人であるから、皆茶讌を喜・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ なるほど、天下多数の人は、死を恐怖しているようである。しかし、彼らとても、死のまぬがれぬのを知らぬのではない。死をさけられるだろうとも思っていない。おそらくは、彼らのなかに一人でも、永遠の命はおろか、大隈伯のように、百二十五歳まで生き・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 資本家は不景気の責任を労働者に転嫁して、首切りをやる。それを安全にやるために、われ/\の前衛を牢獄につないで置くのだ、――今になって見ると、お君にはそのことがよく分った。メリヤス工場でもその手をやっていたのだ。今夫が帰って来てくれたら・・・ 小林多喜二 「父帰る」
・・・に砂浴びせられたる一旦の拍子ぬけその砂肚に入ってたちまちやけの虫と化し前年より父が預かる株式会社に通い給金なり余禄なりなかなかの収入ありしもことごとくこのあたりの溝へ放棄り経綸と申すが多寡が糸扁いずれ天下は綱渡りのことまるまる遊んだところが・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ こうなると、何と言っても広瀬さんの天下だ。そこは新七と、広瀬さんと、お力夫婦の寄合世帯で、互いに力を持寄っての食堂で、誰が主人でもなければ、誰が使われるものでもなかった。唯、実力あるものが支配した。そういう広瀬さんも、以前小竹の家に身・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ただもう、やたらに天下国家ばかり論じて、そうして私を叱るのです。」「そんな事はあるまい。」先生は落ちついている。「てれているんだろう。大隅君は、うれしい時に限って、不機嫌な顔をする男なんだ。悪い癖だが、無くて七癖というから、まあ大目に見・・・ 太宰治 「佳日」
・・・マッチ売の娘の物語を考えついた人もまた、煙草のみたいが叶わず、マッチ点火しては、焔をみつめ、ほそぼそ青い焔の尾をひいて消える、また点火、涙でぼやけてマッチの火、あるいは金殿玉楼くらいに見えたかも知れない。年一年とくらしが苦しく、わが絶望の書・・・ 太宰治 「喝采」
出典:青空文庫