ある婦人雑誌社の面会室。 主筆 でっぷり肥った四十前後の紳士。 堀川保吉 主筆の肥っているだけに痩せた上にも痩せて見える三十前後の、――ちょっと一口には形容出来ない。が、とにかく紳士と呼ぶのに躊躇することだけは事実・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・何為か、その上、幼い記憶に怨恨があるような心持が、一目見ると直ぐにむらむらと起ったから――この時黄色い、でっぷりした眉のない顔を上げて、じろりと額で見上げたのを、織次は屹と唯一目。で、知らぬ顔して奥へ通った。「南無阿弥陀仏。」 と折・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・――がさがさと遣っていると、目の下の枝折戸から――こんな処に出入口があったかと思う――葎戸の扉を明けて、円々と肥った、でっぷり漢が仰向いて出た。きびらの洗いざらし、漆紋の兀げたのを被たが、肥って大いから、手足も腹もぬっと露出て、ちゃんちゃん・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・小柄だが、角力取りのようにでっぷり肥っているので、その汚なさが一層目立つ。濡雑巾が戎橋の上を歩いている感じだ。 しかし、うらぶれた感じはない。少し斜視がかった眼はぎょろりとして、すれちがう人をちらと見る視線は鋭い。朝っぱらから酒がはいっ・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・ 頭の少しはげた、でっぷりとふとった客は「ウン」と言ったぎり黄金縁めがねの中で細い目をぱちつかして、鼻下のまっ黒なひげを右手でひねくりながら考えている。それを見て大森は煙草を取って煙草盆をつつきながら静かに、「それとも呼ぼうか?」・・・ 国木田独歩 「疲労」
・・・十八貫もある、でっぷり肥った、髯のある男だ。彼の靴は、固い雪を蹴散らした。いっぱいに拡がった鼻の孔は、凍った空気をかみ殺すように吸いこみ、それから、その代りに、もうもうと蒸気を吐き出した。 彼は、屈辱と憤怒に背が焦げそうだった。それを、・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ 彼は、疲れない程度に馬を進めながら、暫らくして、兵卒と将校とが云い合っていた方を振りかえった。 でっぷり太った大隊長が浅黒い男の傍に立っていた。大隊長は怒って唇をふくらましていた。そこから十間ほど距って、背後に、一人の将校が膝をつ・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・もう一寸一寸に暗くなって行く時、よくは分らないが、お客さんというのはでっぷり肥った、眉の細くて長いきれいなのが僅に見える、耳朶が甚だ大きい、頭はよほど禿げている、まあ六十近い男。着ている物は浅葱の無紋の木綿縮と思われる、それに細い麻の襟のつ・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・と、でっぷり肥ったる大きな身体を引包む緞子の袴肩衣、威儀堂々たる身を伏せて深々と色代すれば、其の命拒みがたくて丹下も是非無く、訳は分らぬながら身を平め頭を下げた。偉大の男はそれを見て、笑いもせねば褒めもせぬ平然たる顔色。「よし、よし・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・あんな綺麗な男となら、わたしはいつでも一緒に死んであげるのにさ』とでっぷり太った四十くらいの、吹出物だらけの女中がいって、皆を笑わせていました。それから私は五年間四国、九州と渡り歩き、めっきり老け込んでしまいました。そうしてしだいに私は軽ん・・・ 太宰治 「貨幣」
出典:青空文庫