・・・おれはお前の阿父さんに、毎晩お前の夢を見ると云う、小説じみた嘘をつきながら、何度冷々したかわからないぜ。」「私もそれは心配でしたわ。あなたは金陵の御友だちにも、やっぱり嘘をおつきなすったの。」「ああ、やっぱり嘘をついたよ。始めは何と・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・そう思うと、いくら都踊りや保津川下りに未練があっても、便々と東山を眺めて、日を暮しているのは、気が咎める。本間さんはとうとう思い切って、雨が降るのに荷拵えが出来ると、俵屋の玄関から俥を駆って、制服制帽の甲斐甲斐しい姿を、七条の停車場へ運ばせ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・御免なさい。御免なさい。父さんに言っては可厭だよ。」 と、あわれみを乞いつつ言った。 不気味に凄い、魔の小路だというのに、婦が一人で、湯帰りの捷径を怪んでは不可い。……実はこの小母さんだから通ったのである。 つい、の字なりに畝っ・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・何でも買いなの小父さんは、紺の筒袖を突張らかして懐手の黙然たるのみ。景気の好いのは、蜜垂じゃ蜜垂じゃと、菖蒲団子の附焼を、はたはたと煽いで呼ばるる。……毎年顔も店も馴染の連中、場末から出る際商人。丹波鬼灯、海酸漿は手水鉢の傍、大きな百日紅の・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 世話場だね、どうなすった、父さん。お祖母は、何処へ。」 で、父が一伍一什を話すと――「立替えましょう、可惜ものを。七貫や八貫で手離すには当りゃせん。本屋じゃ幾干に買うか知れないけれど、差当り、その物理書というのを求めなさる、ね、そ・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・りく 何ですか、あの……糸咲々々ってお父さんがそう云いますよ。撫子 ああ、糸咲……の白菊……そうですか。りく そして、あのその撫子はお活けなさいませんの。撫子 おお、この花は撫子ですか。りく ええ、返り咲の花なんですよ。・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・あの子は、俺の荒い肌をさすって、小父さん、小父さんといったものだ。」「あの子なら、いいだろう。」「あの子なら、だいいちに、心から俺たちの味方なんだ。」 こういって、古いひのきの木と、年とったたかとは、話をしていました。 夕方・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・いつもの通り晩に一口飲んで、いい機嫌になって鼻唄か何かで湯へ出かけると、じき湯屋の上さんが飛んで来て、お前さんとこの阿父さんがこれこれだと言うから、びっくらして行って見ると、阿父さんは湯槽に捉まったままもう冷たくなってたのさ。やっぱり卒中で・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・円山、それから東山。天の川がそのあたりから流れていた。 喬は自分が解放されるのを感じた。そして、「いつもここへは登ることに極めよう」と思った。 五位が鳴いて通った。煤黒い猫が屋根を歩いていた。喬は足もとに闌れた秋草の鉢を見た。・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ この高慢税を納めさせることをチャンと合点していたのは豊臣秀吉で、何といっても洒落た人だ。東山時分から高慢税を出すことが行われ出したが、初めは銀閣金閣の主人みずから税を出していたのだ。まことに殊勝の心がけの人だった。信長の時になると、も・・・ 幸田露伴 「骨董」
出典:青空文庫