・・・意気込んで舞台へ飛び出したが、相手役がいなかったというバツの悪さをごまかすには、せめて思いも掛けぬお加代という登場人物を相手にしなければならない。「へえん、随分ご親切だけど、かえって親切が仇にもなるわよ」 と、お加代はしかし大根役者・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ これは私の親戚のもので、東条綱雄と申すものです。と善平に紹介されたる辰弥は、例の隔てなき挨拶をせしが、心の中は穏やかならず。この蒼白き、仔細らしき、あやしき男はそもそも何者ぞ。光代の振舞いのなお心得ぬ。あるいは、とばかり疑いしが、色に・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・そしてその復活は元のままのくりかえしではなく必ず新しく止揚されて、現段階に再登場しているのだ。その二千五百年間の人間の倫理思想の発展と推移とを痕づけることは興味津々たるものである。 倫理学史にはフリードリッヒ・ヨードルの『倫理学史』、ヘ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・「日蓮は日本国東夷東条安房国海辺旃陀羅が子也」と彼は書いている。今より七百十五年前、後堀川天皇の、承久四年二月十六日に、安房ノ国長狭郡東条に貫名重忠を父とし、梅菊を母として生まれ、幼名を善日麿とよんだ。 彼の父母は元は由緒ある武士だった・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・釈迦の予言によれば、釈迦滅後、五百歳ずつを一区画として、正法千年、像法千年を経て第五の末法の五百年に、「我が法の中に於て、闘諍言訟して白法隠没せん」時ひとり大白法たる法華経を留めて「閻浮提に広宣流布して断絶せしむることなし」と録されてある。・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・この小説には、もはや、あの役人は登場しない。もともとあの役人の身の上も、全く私の病中の空想の所産で、実際の見聞で無いのは勿論であるが、次の短篇小説の主人公もまた、私の幻想の中の人物に過ぎない。 ……それは、全く幸福な、平和な家庭なんだ。・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・ 狂人の発作に近かった。 組織の無いテロリズムは、最も悪質の犯罪である。馬鹿とも何とも言いようがない。 このいい気な愚行のにおいが、所謂大東亜戦争の終りまでただよっていた。 東条の背後に、何かあるのかと思ったら、格別のものも・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・の役割を以て登場しながら、最後まで退場しない男もいる。小さい遺書のつもりで、こんな穢い子供もいましたという幼年及び少年時代の私の告白を、書き綴ったのであるが、その遺書が、逆に猛烈に気がかりになって、私の虚無に幽かな燭燈がともった。死に切れな・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・などと、戦争がすんだら急に、東条の悪口を言い、戦争責任云々と騒ぎまわるような新型の便乗主義を発揮するつもりはない。いまではもう、社会主義さえ、サロン思想に堕落している。私はこの時流にもまたついて行けない。 私は戦争中に、東条に呆れ、ヒト・・・ 太宰治 「十五年間」
事態がたいへん複雑になっている。ゲシュタルト心理学が持ち出され、全体主義という合言葉も生れて、新しい世界観が、そろそろ登場の身仕度を始めた。 古いノオトだけでは、間に合わなくなって来た。文化のガイドたちは、またまた図書・・・ 太宰治 「多頭蛇哲学」
出典:青空文庫