・・・するとやがてそのアーチの処へ西洋諸国の人にとっては東洋の我が思うのとは違った感情を持つところの十字架の形が、それも小さいのではない、大きな十字架の形が二つ、ありあり空中に見えました。それで皆もなにかこの世の感じでない感じを以てそれを見ました・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・が、すくなくとも、今日の社会、東洋第一の花の都には、地上にも空中にも、おそるべき病菌が充満している。汽車・電車は毎日のように衝突したり、人をひいたりしている。米と株券と商品の相場は、刻々に乱高下している。警察・裁判所・監獄は、多忙をきわめて・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・和・安楽にして、種々なる憂悲・苦労の為めに心身を損うが如きことなき世の中となれば、人は大抵其天寿を全くするを得るであろう、私は斯様な世の中が一日も速く来らんことを望むのである、が、少くとも今日の社会、東洋第一の花の都には、地上にも空中にも恐・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・まだ二十位の青年の時代に或る時は東洋の救世主を以て任ずるような空想な日を送って、後になって、余り自分の空想が甚だしかった事と、その後に起る失望、落胆の激しい事に驚いた、と書いたものなぞもある。或る時は又一個の大哲学家となって、欧洲の学者を凹・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
東洋協會講演會に於いて、堯舜禹の實在的人物に非ざるべき卑見を述べてより已に三年、しかもこの大膽なる臆説は多くの儒家よりは一笑に附せられしが、林〔泰輔〕氏の篤學眞摯なる、前に『東洋哲學』に、近く『東亞研究』に、高説を披瀝して・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・米国はいち早く東洋艦隊を急派して、医療具、薬品等を横浜へはこんで来ました。なお数せきの御用船で食糧や、何千人を入れ得るテント病院を寄そうして来ました。その病院は横浜と東京とにたてられて、のちには日本人の手で活動しました。その他、ニューヨーク・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・私の下宿のすぐ裏が、小さい公園で、亀の子に似た怪獣が、天に向って一筋高く水を吹上げ、その噴水のまわりは池で、東洋の金魚も泳いでいる。ペエトル一世が、王女アンの結婚を祝う意味で、全国の町々に、このような小さい公園を下賜せられた。この東洋の金魚・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・また媒妁人は、大学で私たちに東洋美術史を教え、大隅君の就職の世話などもして下さった瀬川先生がよろしくはないか、という私の口ごもりながらの提案を、小坂氏一族は、気軽に受けいれてくれた。「瀬川さんだったら、大隅君にも不服は無い筈です。けれど・・・ 太宰治 「佳日」
・・・の諸家の序やら跋やら、または編者の筆になるところの年譜、逸話集、写真説明の文など、諸処方々から少しずつ無断盗用して、あやうく、纏めた故葛原勾当の極めて大ざっぱな略伝である。その人と為りに就いての、私一個人の偽らぬ感想は、わざと避けた。日記の・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・桑木理学博士がかつて彼をベルンに尋ねた時に、東洋は東洋で別種の文化が発達しているのは面白いといったような事を話したそうである。この点でも彼は一種のレラチヴィストであるとも云われよう。それにしても彼が幼年時代から全盛時代の今日までに、盲目的な・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫