一 ぽか/\暖かくなりかけた五月の山は、無気味で油断がならない。蛇が日向ぼっこをしたり、蜥蜴やヤモリがふいにとび出して来る。 僕は、動物のうちで爬虫類が一番きらいだ。 人間が蛇を嫌うのは、大昔に、まだ人間とならない時代の・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・身長五尺に満たないくらい、痩せた小さい両の掌は蜥蜴のそれを思い出させた。佐竹は立ったまま、老人のように生気のない声でぼそぼそ私に話しかけたのである。「あんたのことを馬場から聞きましたよ。ひどいめに遭ったものですねえ。なかなかやると思って・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・一つ鋏にかかってつぶれたのをあけて見たら中には蜥蜴のかえりかかったのがはいっていたそうである。「人間のおなかの中にいるときとよく似ているわ」とそばから小さな女の子が付け加えた。私は非常に驚いてこの子供の知識の出所を聞きただしてみると、それが・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・ 困った事にはいつのまにか蜥蜴を捕って食う癖がついた。始めのうちは、捕えたのは必ず畳の上に持って来て、食う前に玩弄するのである。時々大きなやつのしっぽだけを持って来た。主体を分離した尾部は独立の生命を持つもののように振動するのである。私・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ 真円く拡がった薔薇の枝の冠の上に土色をした蜥蜴が一疋横たわっていた。じっとしていわゆる甲良を干しているという様子であった。しかしおそらくそんな生温かい享楽のためではなくて、これもまたもっとせっぱつまった生存の権利を主張するために何かを・・・ 寺田寅彦 「蜂が団子をこしらえる話」
・・・これは先生が少し前に蜥蜴が美くしいと云ったので、青く澄んだ以太利の空を思い出させやしませんかと聞いたら、そうだと答えられたからである。しかし日暮しの時には、先生は少し首を傾むけて、いや彼は以太利じゃない、どうも以太利では聞いた事がないように・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・雑草が茂っている石段に腰かけると、そこは夏でも涼しくて、砂利をしいた正門前の広庭を蜥蜴が走ってゆくのや、樫の大木の幹や梢が深々と緑に輝く様が、閑静な空気のなかに見わたせた。遠くの運動場の方からは長い昼休みのさわぎが微にきこえて来る。私はそこ・・・ 宮本百合子 「青春」
出典:青空文庫