・・・「おい、お前は時計は要らないか。」丸太で建てたその象小屋の前に来て、オツベルは琥珀のパイプをくわえ、顔をしかめて斯う訊いた。「ぼくは時計は要らないよ。」象がわらって返事した。「まあ持って見ろ、いいもんだ。」斯う言いながらオツベル・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・ですから大丈夫戦争も起らなければ無期徒刑をご心配して下さらなくても大丈夫です。却って菜食はみんなの心を平和にし互に正しく愛し合うことができるのです。多くの宗教で肉食を禁ずることが大切の儀式にはつきものになっているのでもわかりましょう。戦争ど・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 陽子の足許の畳の上へ胡坐を掻いて、小学五年生の悌が目醒し時計の壊れを先刻から弄っていた。もう外側などとっくに無くなり、弾機と歯車だけ字面の裏にくっついている、それを動かそうとしているのだ。陽子は少年らしい色白な頸窩や、根気よい指先を見・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・それは時計を捜すのである。逓信省で車掌に買って渡す時計だとかで、頗る大きいニッケル時計なのである。針はいつもの通り、きちんと六時を指している。「おい。戸を開けんか。」 女中が手を拭き拭き出て来て、雨戸を繰り開ける。外は相変らず、灰色・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ 灸の母は玄関の時計の下へ膝をついて婦人にいった。「まアお嬢様のお可愛らしゅうていらっしゃいますこと。」 女の子は眠むそうな顔をして灸の方を眺めていた。女の子の着物は真赤であった。灸の母は婦人と女の子とを連れて二階の五号の部屋へ・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・こんな問答をしているうちに、エルリングは時計を見上げた。「御免なさい。丁度夜なかです。わたしはこれから海水浴を遣るのです。」 己は主人と一しょに立ち上がった。そして出口の方へ行こうとして、ふと壁を見ると、今まで気が附かなかったが、あっさ・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
一 ある雨の降る日、私は友人を郊外の家に訪ねて昼前から夜まで話し込んだ。遅くなったのでもう帰ろうと思いながら、新しく出た話に引っ張られてつい立つことを忘れていた。ふと気づいて時計を見ると、自分が乗ることにきめていた新橋発の汽車の・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫