・・・「写真をとる余裕はなかったようです。」 今度は機嫌の好い少将の眼に、ちらりと当惑の色が浮んだ。「写真をとっても好いじゃないか? 最後の記念と云う意味もあるし、――」「誰のためにですか?」「誰と云う事もないが、――我々始め・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・たかが古いマントルや、穴のあいた長靴ぐらい、誰がとっても好いじゃないか?第二の盗人 いえ、そうは行きません。このマントルは着たと思うと、姿の隠れるマントルなのです。第一の盗人 どんなまた鉄の兜でも、この剣で切れば切れるのです。第・・・ 芥川竜之介 「三つの宝」
・・・年をとってもなかなかその性はやまない。おれは言いだしたら引くのはいやだから、なるべく人の事に口出しせまいと思ってると言いつつ、あまり世間へ顔出しもせず、家の事でも、そういうつもりか若夫婦のやる事に容易に口出しもせぬ。そういう人であるから、自・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・「あら、お姉さまの手、とっても熱い。熱があるみたい……」 言いながら道子は、びっくりしたように姉の顔を覗きこんで、「……それに、随分お痩せになったわね。」「ううん、なんでもあれへん。痩せた方が道ちゃんに似て来て、ええやないの・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・今度東京へ出て来て直次の養母などに逢って見ると、あの年をとっても髪のかたちを気にするようなおばあさんまでが恐ろしい洒落者に見えた。皆、化物だと、おげんは考えた。熊吉の義理ある甥で、おげんから言えば一番目の弟の娘の旦那にあたる人が逢いに来てく・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ 年はとっても元気の好い先生の後に随いて、高瀬はやがてこの小楼を出、元来た谷間の道を町の方へ帰って行った。一雨ごとに山の上でも温暖く成って来た時で、いくらか湿った土には日があたっていた。「桜井先生、あの高輪の方にあった御宅はどう・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ですけれども、やはり、何だかどうもあの先生は、私にとっても苦手でして、もうこんどこそ、どんなにたのまれてもお酒は飲ませまいと固く決心していても、追われて来た人のように、意外の時刻にひょいとあらわれ、私どもの家へ来てやっとほっとしたような様子・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・それだけのもの、つまり智能の未発育な、いくら年とっても、それ以上は発育しない不具者なのね。純粋とは白痴のことなの? 無垢とは泣虫のことなの? あああ、何をまた、そんな蒼い顔をして、私を見つめるの。いやだ。帰って下さい。あなたは頼りにならない・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・あたし、ゆっくりお話申しあげたいのですけれど、いま、とっても、いそがしいので、あ、そうそう、九時にね、新橋駅のまえでお待ち申して居ります。ほんの、ちょっとでよろしゅうございますから、あの、ほんとに、お願い申しあげます。おいやでしょうけれど、・・・ 太宰治 「花燭」
・・・歩きながら道傍の豆の葉を、さっと毟りとっても、やはり、この道のここのところで、この葉を毟りとったことがある、と思う。そうして、また、これからも、何度も何度も、この道を歩いて、ここのところで豆の葉を毟るのだ、と信じるのである。また、こんなこと・・・ 太宰治 「女生徒」
出典:青空文庫