・・・しかしいくらとっても写真にはあの美しさは出しようがない。そのいちょうも次第に落葉して、箒をたてたようなこずえにNWの木枯らしがイオリアンハープをかなでるのも遠くないであろう。そうなれば自身の寒がりのカメラもしばらく冬眠期に入って来年の春の若・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・写真をとっても証拠にならぬ場合のある事はアムンゼンの飛行機の行くえに関する間違いの例でも知られる。 新聞記事の間違いだらけな事はもちろん周知のことであるが、きのうの出来事さえ真実が伝わらぬとすればいわゆる史実と称するものもどこまで信用で・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・主人夫婦の間には年とっても子が無いので、親類の子供をもらって育てていたのである。娘のほかに大きな三毛ねこがいるばかりでむしろさびしい家庭であった。自分はいつも無口な変人と思われていたくらいで、宿の者と親しいむだ話をする事もめった・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・年はとっても私等はこの通りじゃ。とりのぼせぬまでにうかれるのも春は良いものじゃワお身の唇はその様にうす赤くて――はたから見ても面白い話が湧いて来そうに見える。口あくと歯にしみる風は願うても吹いては居ぬ、サ、今のあてものでも云って見なされ下ら・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・亀戸事件、大杉事件どれ一つとっても権力の野蛮と惨虐が身にせまった。国家権力というものから自分の生命にまで不安を感じさせられたはじめての経験であった。 この集にはほかに「氷蔵の二階」、「部屋」が収められている。これらの作品は一九二七年の暮・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・市ソヴェトの例だけとってもこうです。一九二二年――九分八厘一九二五年――二割一九二七年――二割一分四厘一九二九年――二割七分五厘 ソヴェト同盟の勤労婦人は自分の国の社会主義社会を達成させるため、一日も早く世界の姉・・・ 宮本百合子 「ソヴェト同盟の婦人と選挙」
・・・ 歴史がくりかえされないことは、この一事をとっても明白ではないだろうか。第一次ヨーロッパ大戦のとき、日本は最後の段階に連合国側に参加してチンタオだの南洋諸島だのを、ドイツから奪って統治するようになった。第一次大戦のとき日本で儲けたのは海・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
・・・かわって、永い間働いた者の妻は夫の死後一生扶助料を政府から貰えるように、夫と妻との権利は平等であるように、養う親持ちの場合は、そのことを政府が考えて助けてくれるような社会にならなければ、女は若くても年とっても安心な暮しは出来ません。 兵・・・ 宮本百合子 「「我らの誌上相談」」
出典:青空文庫