・・・ 子供は、その水たまりをのぞき込むように、その前にくると歩みを止めてたたずみました。「坊や、そこは水たまりだよ。入ると足が汚れるから、こっちを歩くのだよ。」と、父親はいいました。 子供は、そんなことは耳にはいらないように、笑って・・・ 小川未明 「幾年もたった後」
・・・場内の熱狂した群衆は、私の姿など目にも留めない。 そのうちに閉場の時刻が来た。ガランガランという振鈴の音を合図に、さしも熱しきっていた群衆もゾロゾロ引挙げる。と、小使らしい半纒着の男が二人、如露と箒とで片端から掃除を始める。私の傍の青い・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・というのであった、彼も頗る不思議だとは思ったが、ただそれくらいのことに止まって、別に変った事も無かったので、格別気にも止めずに、やがて諸国の巡業を終えて、久振で東京に帰った、すると彼は間もなく、周旋する人があって、彼は芽出度く女房を娶った。・・・ 小山内薫 「因果」
・・・ いかにおれが宣伝の才にめぐまれていたかは、いずれ後ほど詳しく述べる故、ここでは簡単に止めて置くが、たとえば湯崎へ来た最初の日集まった患者のなかで口の軽そうな、話好きそうな婆さんを見ると、「――この灸は天下一の名灸ではあるが、真実効・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・序に頭の機能も止めて欲しいが、こればかりは如何する事も出来ず、千々に思乱れ種々に思佗て頭に些の隙も無いけれど、よしこれとても些との間の辛抱。頓て浮世の隙が明いて、筐に遺る新聞の数行に、我軍死傷少なく、負傷者何名、志願兵イワーノフ戦死。いや、・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・行李一つと夜具だけ上野までチッキをつけて、一昨日ほとんどだしぬけに嫂さんところへ行ってすぐ夜汽車で来るつもりだったんでしょうがね、夜汽車は都合がわるいと止められたんで、一昨日の晩は嫂さんところへ泊って、昨日青森まで嫂さんに送られて一時の急行・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
彼は永年病魔と闘いました。何とかしてその病魔を征服しようと努力しました。私も又彼を助けて、共にその病魔を斃そうと勉めましたが、遂に最後の止めを刺されたのであります。 本年二月二十六日の事です。何だか身体の具合が平常と違・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・食事の箸を止めながら、耳に注意をあつめる科で、行一は妻にめくばせする。クックッと含み笑いをしていたが、「雀よ。パンの屑を屋根へ蒔いといたんですの」 その音がし始めると、信子は仕事の手を止めて二階へ上り、抜き足差し足で明り障子へ嵌めた・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・道すがらも辰弥はさまざまに話しかけしが、光代はただかたばかりの返事のみして、深くは心を留めぬさまなり。見るから辰弥も気に染まず、さすが思いに沈むもののごとし。二人は黙して歩みぬ。 おや。という光代の声に辰弥は俯向きたる顔を上ぐれば、向う・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・そしてただいろんな事を止め度もなく考えて、思いにふけったものです。 そうすると、私もただ乱読したというだけで、樋口や木村と同じように夢の世界の人であったかも知れません。そうです、私ばかりではありません。あの時分は、だれもみんなやたらに乱・・・ 国木田独歩 「あの時分」
出典:青空文庫