・・・その風采や、さながら一山の大導師、一体の聖者のごとく見えたのであった。大正十二年一月 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・隣同士だからなんといっても顔見合わせる機会が多い。お互いにそぶりに心を通わし微笑に意中を語って、夢路をたどる思いに日を過ごした。後には省作が一筋に思い詰めて危険をも犯しかねない熱しような時もあったけれど、そこはおとよさんのしっかりしたところ・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・端から見たならば、馬鹿馬鹿しくも見苦しくもあろうけれど、本人同志の身にとっては、そのらちもなき押問答の内にも限りなき嬉しみを感ずるのである。高くもないけど道のない所をゆくのであるから、笹原を押分け樹の根につかまり、崖を攀ずる。しばしば民子の・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・お前たち二人は好いた同士でそれでえいにしても、親兄弟の迷惑をどうする気か、おとよ、お前は二人さえよければ親兄弟などはどうでもえいと思うのか。できた事は仕方ないとしても、どうしてそれが改めてくれられない。省作への義理があろうけれど、それは人を・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・てるから、屋敷構から人の気心も純粋の百姓村とは少し違ってる、涼しそうな背戸山では頻りに蜩が鳴いてる、おれは又あの蜩の鳴くのが好きさ、どこの家でも前の往来を綺麗に掃いて、掃木目の新しい庭へ縁台を出し、隣同志話しながら煙草など吹かしてる、おいら・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・「そりゃアどうだか分りませんが、朋輩同志で舞台へ出たことはあるのよ」 二人はこんな問答もあった。 僕は、帰京したら、ひょッとすると再び来ないで済ませるかも知れないと思ったから、持って来た書籍のうち、最も入用があるのだけを取り出し・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・――子供同士の喧嘩です、先生、どうぞ悪しからず。――さア、吉弥、支度、支度」「厭だが、行ってやろうか」と、吉弥はしぶしぶ立って、大きな姿見のある化粧部屋へ行った。 七「お座敷は先生だッたの、ねえ、――あんなことを・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・日本人同士が独逸の雑誌で論難するというは如何にも世界的で、これを以ても鴎外が論難好きで、シカモその志が決して区々日本の学界や文壇の小蝸殻に跼蹐しなかったのが証される。 鴎外の博覧強記は誰も知らぬものはないが、学術書だろうが、通俗書だ・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・文人としての今日の欲望は文人同志の本家争いや功名争いでなくて、今猶お文学を理解せざる世間の群集をして文人の権威を認めしむるのが一大事であろう。 二十五年前と比べたら今日の文人は職業として存立し得るだけ社会に認められて来た。が、人生及び社・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・今日のような思想上の戦国時代に在っては文人は常に社会に対する戦闘者でなければならぬが、内輪同士では年寄の愚痴のような繰言を陳べてるが、外に対しては頭から戦意が無く沈黙しておる。 二十五年の歳月が聊かなりとも文人の社会的位置を進めたのは時・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
出典:青空文庫