・・・それさえ、娘の方では、気になるのに、その尼がまた、少し耳が遠いと来ているものでございますから、一つ話を何度となく、云い直したり聞き直したりするので、こっちはもう泣き出したいほど、気がじれます。――「そんな事が、かれこれ午までつづいたでご・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・とでもいいそうな顔を妻の方に向けて置いて、歩きながら帯をしめ直した。良人の顔付きには気も着かないほど眼を落した妻は口をだらりと開けたまま一切無頓着でただ馬の跡について歩いた。 K市街地の町端れには空屋が四軒までならんでいた。小さな窓は髑・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ もう一度、試みに踏み直して、橋の袂へ乗り返すと、跫音とともに、忽ち鳴き出す。 あまり爪尖に響いたので、はっと思って浮足で飛び退った。その時は、雛の鶯を蹂み躙ったようにも思った、傷々しいばかり可憐な声かな。 確かに今・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・今度は民子が心を取り直したらしく鮮かな声で、「政夫さん、もう半分道来ましてしょうか。大長柵へは一里に遠いッて云いましたねイ」「そうです、一里半には近いそうだが、もう半分の余来ましたろうよ。少し休みましょうか」「わたし休まなくとも・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・と、僕は坐り直した。「青木が呼びに来るだろうから、下へ行け」「あの人は今晩来ないことになったの――そんなに言わないで、さ、あなた」と、吉弥はあまえるようにもたれかかって、「今言ったことはうそ、みんなうそ。決心してイるんだから、役者にして・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・で、破壊しては新たに建直し、建直しては復た破壊し丁度児供が積木を翫ぶように一生を建てたり破したりするに終った。 二葉亭は常にいった。フィロソフィーというは何処までも疑問を追究する論理であって、もし最後の疑問を決定してしまったならそれはド・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・こんなとき、もしお姉さんが見ていらっしゃると、すぐに立ってきて、きれいにかみ直してくださいました。 ある日のこと、正ちゃんは、大将となって、近所の小さなヨシ子さんや、三郎さんたちといっしょに原っぱへじゅず玉を取りにゆきました。そして、た・・・ 小川未明 「左ぎっちょの正ちゃん」
・・・下駄箱へ蔵うと、着ていた秩父銘撰の半纏を袖畳みにして、今一間茶の間と並んだ座敷の箪笥の上へ置いて、同じ秩父銘撰の着物の半襟のかかったのに、引ッかけに結んだ黒繻子の帯の弛み心地なのを、両手でキュウと緊め直しながら二階へ上って行く。その階子段の・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・蹴ったくそわるいさかい、オギアオギアせえだい泣いてるとこイ、ええ、へっつい直しというて、天びん担いで、へっつい直しが廻ってきよって、事情きくと、そら気の毒やいうて、世話してくれたンが、大和の西大寺のそのへっつい直しの親戚の家やった。そンでま・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・物に紛れ当るということは、余程呪われた者の運命に違いないという気が強くされて―― 彼は、子供等が庭へ出て居り、また丁度細君も使いに行ってて留守だったのを幸い、台所へ行って擂木で出来るだけその凹みを直し、妻に見つかって詰問されるのを避ける・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫