・・・わたしたちは、一九四九年度の毎日文化賞のための世論調査の結果として、第一位が長崎の永井隆「この子をのこして」であり、第何位かに吉川英治を見出したのであったから。しかし、この一つの事実は、その事実が結論されて来るまでの条件として他のもう一つの・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・この時期に現れた永井荷風の「ひかげの花」谷崎潤一郎の「春琴抄」等が与えられた称讚の性質も見遁せないものを持っている。先に文芸復興の声と共に流行した古典の研究、明治文学の見直し等が、正当な方法を否定していたために、新しい作家の新しい文学創造の・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 世界の国々ではどこでも、婦人の政治的な成長の第一歩が常に公民権の獲得からはじめられていることは周知のとおりである。永井享氏の「婦人問題研究」によると、イギリスでは一八六九年に女子に公民権を認められ一九一八年の人民代表法で三十歳以上の婦・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
・・・その洋画や飾棚が、向島へ引移る時、永井と云う悪執事にちょろまかされたが、その永井も数年後、何者かに浅草で殺された事など、まさ子は悠り、楽しそうに語った。向島時代は、なほ子も聞いた話が多かった。それから、昌太郎が外国へ行った前後の話。――母の・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・そこでその手が血に染んでいないことだけはたしかな永井荷風の作品、谷崎潤一郎の作品などが、当時の営利雑誌に氾濫し、ある意味で今日デカダンティズム流行の素地をつくった。そして、戦争の永い年月、人間らしい自主的な判断による生きかたや、趣味の独立を・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・を『中央公論』に連載中の島崎藤村はもちろん、永井荷風、徳田秋声、近松秋江、上司小剣、宮地嘉六などの諸氏が、ジャーナリズムの上に返り咲いたことである。 このことは、ブルジョア文学の動きの上に微妙な影響を与えたばかりでなく「ナルプ」解散後の・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ この足さぐりの時期には、戦争遂行に協力した作家たちは作品発表をせず、ジャーナリズム自身の存在安定のためにも、執筆依頼はひかえておくという工合でした。永井荷風がある時期にあのような作品を続々と発表したということには、日本の現代文学の深い・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
・・・ 内田巖さんのお母さんを描かれた二枚の肖像、永井潔さんの蔵原さんの肖像と男の像、なにか印象にのこります。一口で言いきれないものが残されているのです。 内田さんという方は、作家からみれば、何か複雑な内部構成をもっている方だと感じま・・・ 宮本百合子 「第一回日本アンデパンダン展批評」
・・・「長井さん、あなたが引こんでいるってことはないわ、出なさいよ」「ええ。――そうも思うんだけれどもね、……」 かたまって話し合いながら階段をおりてゆく婦人たちは、主に、十月十日にかえった良人と一緒に、ここに住んでいる人たちであった・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・ 一九四六年の一月、久しぶりで再発足したいくつかの商業雑誌がこぞって永井荷風の「浮沈」「踊子」「問わずがたり」などをのせ、ひきつづいて正宗白鳥、宇野浩二、志賀直哉などの作品をあらそって載せた現象は、日本の悲劇の一面をあらわした。商業雑誌・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
出典:青空文庫