・・・「よく、日の当たるところに移して、大事にしてごらんなさい。」と、お母さまは、それに対して答えられました。 春の彼岸が過ぎて、桜の花が散ったころ一つの鉢から真紅な花が開きました。その花は、あまりに美しくもろかったのであります。そして、・・・ 小川未明 「青い花の香り」
・・・チョンボリ、ほんの真似だけにしといておくんなさいよ」「何だい卑怯なことを、お前も父の子じゃねえか」「だって、女の飲んだくれはあんまりドッとしないからね」「なあに、人はドッとしなくっても、俺はちょいとこう、目の縁を赤くして端唄でも・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ すると、爺さんはニコニコしながら、それを拾って、自分の直ぐ側に立っている見物の一人に、おいしいから食べて御覧なさいと言いました。 途端に、空から長い網がするすると落ちて来ました。それが、見ている間に、するするするすると落ちて来て、・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・ 呶鳴るように言うと、紀代子もぐっと胸に来て、「うろうろしないで早く帰りなさい」 その調子を撥ね飛ばすように豹一は、「勝手なお世話です」「子供のくせに……」 と言いかけたが、巧い言葉が出ないので、紀代子は、「教護・・・ 織田作之助 「雨」
・・・「まあお入りなさい」彼は少し酒の気の廻っていた処なので、坐ったなり元気好く声をかけた。「否もうこゝで結構です。一寸そこまで散歩に来たものですからな。……それで何ですかな、家が定まりましたでしょうな? もう定まったでしょうな?」「・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・それで今度はお前から注文しなさいと言えば、西瓜の奈良漬だとか、酢ぐきだとか、不消化なものばかり好んで、六ヶしうお粥をたべさせて貰いましたが、遂に自分から「これは無理ですね、噛むのが辛度いのですから、もう流動物ばかりにして下さい」と言いますの・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・雑穀屋が小豆の屑を盆の上で捜すように、影を揺ってごらんなさい。そしてそれをじーっと視凝めていると、そのうちに自分の姿がだんだん見えて来るのです。そうです、それは「気配」の域を越えて「見えるもの」の領分へ入って来るのです。――こうK君は申しま・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・いつまでもお弄りなさいまし。父様はね、そんな風でね、私なんぞのこともね、蔭ではどんなに悪く言っていらっしゃるか知れはしないわ。これからは私アもう、父様のおっしゃったことを真実にしないからようござんす。一体父様は私をそんなに可愛がって下さらな・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・『どれ、今のをお見せなさい、』と豊吉は少年の顔を見ながら言ッた。 少年はいぶかしそうに豊吉を見て、不精無精に籠の口を豊吉の前に差し向けた。『なるほど、なるほど。』豊吉はちょっと籠の中を見たばかりで、少年の顔をじっと見ながら『なる・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・「立派な男子におなんなさい。私たちに相応しいもののために私たちの美はあるのです」 彼女たちはたしかに美しき、善き何ものかである。少なくともそれにつながったものである。美と徳との理念をはなれて、彼女たちを考えることはできぬ。したがって・・・ 倉田百三 「学生と生活」
出典:青空文庫