・・・ おじいさんは、かつて怒ったことがなく、いつもにこにこと笑って、太い煙管で煙草を喫っていました。そのうえ、おじいさんは、体がふとっていて働けないせいもあるが、怠け者でなんにもしなかったけれど、けっして食うに困るようなことはありませんでし・・・ 小川未明 「犬と人と花」
・・・女がいるのを見て、あっと思ったらしかったが、すぐにこにこした顔になると、「さあ、買うて来ましたぜ」 と、新聞紙に包んだものを、私の前に置いた。罎のようだったから、訳がわからず、変な顔をしていると、男は上機嫌に、「石油だ。石油だす・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・と書いた大提灯がぶら下っていて、その横のガラス箱の中に古びたお多福人形がにこにこしながら十燭光の裸の電灯の下でじっと坐っているのである。暖簾をくぐって、碁盤の目の畳に腰掛け、めおとぜんざいを注文すると、平べったいお椀にいれたぜんざいを一人に・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・その代りいつでもにこにこしている。おそらくこれが人の好い聾の態度とでもいうのだろう。だから商売は細君まかせである。細君は醜い女であるがしっかり者である。やはりお人好のお婆さんと二人でせっせと盆に生漆を塗り戸棚へしまい込む。なにも知らない温泉・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・ 髪の毛を前へおろして、糊の寝た浴衣を着、暑いのに黒足袋を穿いていた。にこにこして立っているのを、先ほどの男が椅子を持って来て坐らせた。 印度人は非道いやつであった。 握手をしようと言って男の前へ手を出す。男はためらっていたが思・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 善平はさらに掛構いもなく、天井を見てにこにこ笑いながら、いやもう綱雄は実にあっぱれな男さ。 また、また、父様はもう、とばかり光代は立ちかかりて、いきなり逆手に枕をはずせば、すとんと善平は頭を落されて、や、ひどいことをすると顔をしか・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・と少女はにこにこ。「そうですとも、大いに妙です。神崎工学士、君は昨夕酔払って春子様をつかまえてお得意の講義をしていたが忘れたか。」「ねエ朝田様! その時、神崎様が巻煙草の灰を掌にのせて、この灰が貴女には妙と見えませんかと聞くから、私・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
『鹿狩りに連れて行こうか』と中根の叔父が突然に言ったので僕はまごついた。『おもしろいぞ、連れて行こうか、』人のいい叔父はにこにこしながら勧めた。『だッて僕は鉄砲がないもの。』『あはははははばかを言ってる、お前に鉄砲が打てるものか・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・ 娘は嬉しそうに、にこにこしながら、手を出した。 彼は、始め、握手することを知らなかった。それまで、握手をしたことがなかったのだ。何か悪いことをするように、胸がおどおどした。 が、まもなく、平気になってしまった。 のみならず・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・得税なぞは、道成寺ではないが、かねに恨が数ござる、思えばこのかね恨めしやの税で、こっちの高慢税の如きは、金と花火は飛出す時光る、花火のように美しい勢の好い税で、出す方も、ソレ五万両、やすいものだ、と欣にこにことして投出す、受取る方も、ハッ五・・・ 幸田露伴 「骨董」
出典:青空文庫