・・・とお源を見る、お清はお徳を睨む、お源は水を汲んで二歩三歩歩るき出したところであった。「全く物騒ですよ、私の店では昨夜当到一俵盗すまれました」「どうして」とお清が問うた。「戸外に積んだまま、平時放下って置くからです」「何炭を盗・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・と言わぬばかりの非難の目つきで私を睨むのである。結婚式は午後五時の予定である。もう三十分しか余裕が無い。私は万策尽きた気持で、襖をへだてた小坂家の控室に顔を出した。「ちょっと手違いがありまして、大隅君のモオニングが間に合わなくなりまして・・・ 太宰治 「佳日」
・・・りそれを下手人と睨むというのがある。「身に覚なきはおのづから楽寝仕り衣裳付自堕落になりぬ。又おのれが身に心遣ひあるがゆへ夜もすがら心やすからず。すこしも寝ざれば勝れて一人帷子に皺のよらざるを吟味の種に仕り候」とある。少し無理なところもあるが・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・石榴の花と百日紅とは燃えるような強い色彩を午後の炎天に輝し、眠むそうな薄色の合歓の花はぼやけた紅の刷毛をば植込みの蔭なる夕方の微風にゆすぶっている。単調な蝉の歌。とぎれとぎれの風鈴の音――自分はまだ何処へも行こうという心持にはならずにいる。・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・とウィリアムは幻影の盾を睨む。夜叉の髪の毛は動きもせぬ、鳴りもせぬ。クララかと思う顔が一寸見えて又もとの夜叉に返る。「まあ、よいわ、どうにかなる心配するな。それよりは南の国の面白い話でもしょう」とシワルドは渋色の髭を無雑作に掻いて、若き・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・死人のような目で空を睨むように人の顔を見ています。おお、気味が悪い。あれは人間ではございませんぜ。旦那様、お怒なすってはいけません。わたくしは何と仰ゃっても彼奴のいる傍へ出て行く事は出来ません。もしか明日の朝起きて見まして彼奴が消えて無くな・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・春雨や人住みて煙壁を洩る 狐狸にはあらで幾何か怪異の聯想を起すべき動物を詠みたるもの、獺の住む水も田に引く早苗かな獺を打し翁も誘ふ田植かな河童の恋する宿や夏の月蝮の鼾も合歓の葉陰かな麦秋や鼬啼くなる長がも・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ふき子は笑いを湛えつつ、若々しい眼尻で陽子を睨むようにした。その、自分の家でありながら六畳の方へは踏み込まず、口数多い神さんが気に入らなかったが、座敷は最初からその目的で拵えられているだけ、借りるに都合よかった。戸棚もたっぷりあったし、東は・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ かけて――学生のくせに、と椅子の不足しているとき兄を睨む気軽さ愛らしさは、そのものとして天上的に邪気がなくても、今日の空気の何かを学生には感じさせるのではないだろうか。ちょいと気のつよい兄さんは、その妹に向ってこんなしっぺいがえしもするの・・・ 宮本百合子 「家庭と学生」
・・・ 桃龍は、文楽人形のようなグロテスクなところがどこにかある顔で対手を睨むような横目した。「――怪体な舞まわされて、走らずにいられへんわ」 都踊りの最後の稽古の日、その日はまあ大事の日だから、自信のある年嵩の連中でもちゃんと時間前・・・ 宮本百合子 「高台寺」
出典:青空文庫