・・・この動物の血で塗りかためた、貴様等同族の髪毛の鞭が一ふり毎に億の呪いをふり出すか、兆の狂暴を吐出すか後で判ろう。呪いの鬼子、気違い力の私生児、入れ! 入れ!見てくれ、俺も老いまい? 粉のように飛んで、光のように、人間共にからみつく、あの――・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・青年・壮年のトルストイが、自分の肉体的な力に罪悪を感じたり、自身の官能の鋭さを荷厄介にしたりして、それを刺戟する女性を呪い憎んでいるに対して、同じ年頃のゴーリキイは、何と素朴な初恋を経験していたことであろう。この初恋は、ゴーリキイが「初恋に・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・太鼓の鈍い響きと令丁のかすかな声とが遠くでするのを人々は今一度聞いた。そこで人々はこの事件に話を移して、フォルチュネ、ウールフレークが再びその手帳を取り返すことができるだろうかできないだろうかなど言い合った。 そして食事が終わった。・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・境内の杉の木立ちに限られて、鈍い青色をしている空の下、円形の石の井筒の上に笠のように垂れかかっている葉桜の上の方に、二羽の鷹が輪をかいて飛んでいたのである。人々が不思議がって見ているうちに、二羽が尾と嘴と触れるようにあとさきに続いて、さっと・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・が、二人の塊りは無言のまま微かな唸りを吐きつつ突き立って、鈍い振子のように暫く左右に揺れていた。「此の餓鬼めッ。」「くそったれッ。」 勘次の身体は秋三を抱きながら、どっと後の棺を倒して蒲団の上へ顛覆した。安次の半身は棺から俯伏に・・・ 横光利一 「南北」
・・・ その晩十時過ぎに、もう内中のものが寐てしまってから、己は物案じをしながら、薄暗い庭を歩いて、凪いだ海の鈍い波の音を、ぼんやりして聞いていた。その時己の目に明りが見えた。それはエルリングの家から射していたのである。 己は直ぐにその明・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・外の廊下の鈍い、薄赤い明りで見れば、影のように二三人の人の姿が見える。新しく着いた旅人がこの部屋に這入って来るのである。旅人は這入って戸を締めた。フィンクはその影がどこへ落ち着くか見定めようと、一しょう懸命に見詰めている。しかし影は声もなく・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・眼が鈍い、頭が悪い、心臓が狭い、腕がカジカンでいる、どの性質にも才能にも優れたものはない、――しかも私は何事をか人類のためになし得る事を深く固く信じています。もう二十年! そう思うとぐッたりしていた体に力がみなぎって来る事もあります。 ・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・ 私は自分を呪いました。食事の時ぐらいはなぜ他の者といっしょの気持ちにならなかったのでしょう。なぜ子供に対してまで「自分の内に閉じこもること」を続けたのでしょう。私がすべての人を愛でもって抱きたいと思ったことはほんとうです。それに関係し・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・私は自分の過去を恥じ、呪い、そうして捨てた。できるならば私はそれまでに書いたものをすべて人の記憶から消し去りたいとねがった。もう筆を取る勇気もなかった。私はその時に自己表現の情熱を中断されたように思う。そのころは知人と口をきくことさえも私を・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫