・・・それから又斎藤さんと割り合にすいた省線電車に乗り、アララギ発行所へ出かけることにした。僕はその電車の中にどこか支那の少女に近い、如何にも華奢な女学生が一人坐っていたことを覚えている。 僕等は発行所へはいる前にあの空罎を山のように積んだ露・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・しかしこの雑誌社から発行する雑誌に憎悪と侮蔑とを感じていた彼は未だにその依頼に取り合わずにいる。ああ云う雑誌社に作品を売るのは娘を売笑婦にするのと選ぶ所はない。けれども今になって見ると、多少の前借の出来そうなのはわずかにこの雑誌社一軒である・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・それは或る気温の関係で太陽の周囲に白虹が出来、なお太陽を中心として十字形の虹が現われるのだが、その交叉点が殊に光度を増すので、真の太陽の周囲四ヶ所に光体に似たものを現わす現象で、北極圏内には屡見られるのだがこの辺では珍らしいことだといって聞・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・南海霊山の岩殿寺、奥の御堂の裏山に、一処咲満ちて、春たけなわな白光に、奇しき薫の漲った紫の菫の中に、白い山兎の飛ぶのを視つつ、病中の人を念じたのを、この時まざまざと、目前の雲に視て、輝く霊巌の台に対し、さしうつむくまで、心衷に、恭礼黙拝した・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・研究報告書は経費の都合上十分抱負が実現されなかったが、とにかく鴎外時代となって博物館から報告書が発行されるようになったのは日本の博物館の一進歩である。鴎外は各国博物館の業績に深く潜思して、就任後一、二回落合った偶然の咄のついでにも抱負の一端・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・ 今日では新聞紙の発行が一つのビジネスであるのを何人も怪まないであろう。成島柳北や沼間守一が言論の機関としていた時代と比べて之を堕落と云うものあらば時代を解せざる没分暁の言として見らるゝであろう。其通りに雑誌も亦一つのビジネスであるが、・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・出版の都度々々書肆から届けさしたという事で、伝来からいうと発行即時の初版であるが現品を見ると三、四輯までは初版らしくない。私の外曾祖父は前にもいう通り、『美少年録』でも『侠客伝』でも皆謄写した気根の強い筆豆の人であったから、『八犬伝』もまた・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・『経世偉勲』の発行されたのはあたかも侯井上の欧化政策時代であって、その頃学堂はジスレリーに私淑しているという評判だった。が、政治家としての尾崎は相応に見識があったろうが、ジスレリーを私淑するには学堂の文藻は余りに貧しかった。尤も日本の政治家・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・レエルモントフのコウカサスに於ける、薄倖の革命詩人、レヴィートフの中央ロシヤの平原に於けるそれであった。 彼等は、この広い天地に、曾て、自分を虐遇したとはいえ、少年時代を其処に送った郷土程、懐かしいものを漂浪の間に見出さなかった事である・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・「芸術は革命的精神に醗酵す」という宣言の下に生れた芸術とは、全く選を異にする。一つは、太平時代の産物であり、装飾であり、娯楽であり、後者は、闘争的精神から生れた叫びである。純然行路を異にするのは、それがためであります。 階級闘争は必・・・ 小川未明 「芸術は革命的精神に醗酵す」
出典:青空文庫