・・・錦重堂板の草双紙、――その頃江戸で出版して、文庫蔵が建ったと伝うるまで世に行われた、釈迦八相倭文庫の挿画のうち、摩耶夫人の御ありさまを、絵のまま羽二重と、友染と、綾、錦、また珊瑚をさえ鏤めて肉置の押絵にした。…… 浄飯王が狩の道にて――・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・という題の失恋小説を連載する事になって、その原稿発送やら、電報の打合せやらで、いっそう郵便局へ行く度数が頻繁になった。 れいの無筆の親と知合いになったのは、その郵便局のベンチに於いてである。 郵便局は、いつもなかなか混んでいる。私は・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・私の聞いたすべての音楽は私のセロに発想の上に新しい道を開いた。私は名手から学ぶと同様に下手からも学んだ。それはどうしてはいけないかを学んだのである。私は私の生徒からも多くを学んだ。」 スペシアリストのほんとうの意義、その心得を説き尽くし・・・ 寺田寅彦 「人の言葉――自分の言葉」
・・・一九三六年のダイジェストの調査は調査ごとに五〇万ドルの費用をかけ一千万枚のアンケートを発送し、二、一五八、七八九の回答にもとづいて行われた。この大仕掛のダイジェスト世論調査が、何故にとりかえしのつかない大失敗に終ったかというと、そこには実に・・・ 宮本百合子 「現代史の蝶つがい」
・・・そして趣意書を印刷し、それを発送する仕事がはじまった。創立大会を準備する仕事がはじまった。同時に、敗戦後第一回の選挙がせまって、日本の婦人たちがはじめて政治上に意志をあらわす機会もきた。この事情は、はじめぼんやりとした日本の社会と婦人の生活・・・ 宮本百合子 「その人の四年間」
・・・壺井栄さんは、『戦旗』の発行や発送のためには大きい見えない力として扶けた人だった。良人や息子を獄中に送った女の人々のよい相談あいてであるばかりでなく励ましてであった。子供のうちから体で働いて生きながら、そのような人生の中に美しいもの、愛くる・・・ 宮本百合子 「壺井栄作品集『暦』解説」
・・・ こんにちの日本の社会では、現代人の発想として、さまざまの具体的な試みが活溌に実行されてこそ結構な時期である。まして、すべての新劇団が、一九五〇年は五・六月ごろから著しく財政困難に陥って、熱心で技量のある俳優たちが無給で奮闘している現在・・・ 宮本百合子 「人間性・政治・文学(1)」
・・・それほど久しい間婦人の、人間としての社会的発想は、抑えられつづけて来たのだ。抑えられているなかで、自分の文学の境地をまもりつづけて来た婦人たちの作品は、しかしながら、あまり現代の歴史のいきづきから遠くはなれて、それとしての完成を目ざして来た・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・階下が発送部で、階上が編輯室だ。誰かが少し無遠慮に階段を下りると、室じゅうが震えるその二階の一つの机、一台のタイプライターを、ジェルテルスキーは全力をつくして手に入れたのであった。 薄曇りの午後、強い風が吹くごとに煙幕のような砂塵が往来・・・ 宮本百合子 「街」
・・・しかし、すでに、それだけでも栖方の発想には天才の資格があった。二十一歳の青年で、零の置きどころに意識をさし入れたということは、あらゆる既成の観念に疑問を抱いた証拠であった。おそらく、彼を認めるものはいなかろうと梶は思った。「通ることがあ・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫