・・・とかいう辞句は時利あらず、いかような羽目にたちいたろうともわがこころに愧じるところなく、確信ゆるがずという文句である。「あら尊と音なく散りし桜花」という東條英機の芭蕉もじりの発句には、彼の変ることない英雄首領のジェスチュアがうかがわれる。二・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・三方建物の羽目でふさがれ、一方だけ、裏庭につづいている。裏庭と畑とは木戸と竹垣で仕切られている。 その時分、うちは樹木が多く、鄙びていた。客間の庭には松や梅、美しい馬酔木、榧、木賊など茂って、飛石のところには羊歯が生えていた。子供の遊ぶ・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・今のさっき啼きはじめたのではない啼きようだのに、家のなかはコトリとも物音をさせず、屋根の瓦も羽目の色も雨に濡れそぼったまま二階の高窓はかたく閉っている。ぶちまだらの犬は雨で難渋しているというばかりではなく、その難渋のありようのうちに耐えがた・・・ 宮本百合子 「犬三態」
・・・ 栄蔵の枕のわきに座って、始めは馬鹿丁寧に腰を低くして、自分の出来るだけは勉強しようの、病気はどんな工合だなどと云いながらそれとなく家内を見廻して、どうしても今売らなければならない羽目になって居る事を見きわめる。 そして彼特有のずる・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ ――間近に迫った人家の屋根や雨に打れ風に曝された羽目を見、自分の立って居る型ばかりの縁先に眼を移し、その間、僅か十坪に足りない地面に、延び上るようにして生えて居る数本の樹木を見守った時、私は云いようのない窮屈さを感じた。 自然を追・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・山羊皮の半外套を着た若い労働者が三四人、床の上でじかに膝を抱え、むき出しな板の羽目へよっかかっている。 四十がらみの、ルバーシカの上へ黒い上衣を着た男が立って報告しているところだ。「タワーリシチ! われわれは工場新聞と各職場の壁新聞・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
・・・ 廊下の羽目からは鋭い隙間風が頸のうしろにあたって、背中がゾーゾーする。自分は羽織の衿を外套の襟のように立てて坐っている。昼になると、小使いがゴザの外のじかにペタリと廊下へ弁当を置き、白湯の椀を置いた。弁当から二尺と隔らないところに看守・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ この話を林町の父にしたら、地震につぶれぬよう羽目にかすがいというか斜木を打ってやろうと申しました。そう云ったけれど、それなり忘れているのです。相変らずいそがしいから。この頃は国府津へ準急もとまらないから不便になりました。丹那が開通したから・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 日本女は、寂しい歩道をときどき横に並んでる家の羽目へ左手をつっぱりながら歩いて行った。本当は新しい防寒靴をもうとっくに買わなければならない筈なんだ。底でゴムの疣が減っちまったら、こんな夜歩けるものじゃない。 橋へ出た。木の陸橋だ。・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
・・・自分は谷川君との約束を幾度か延ばし延ばししていた罰でこんな羽目になった。しかし軽井沢に避暑している人たちがまさかこんな日に出歩くとは思わなかった。まして寺田さんの一行が自分と同じく北軽井沢までも行かれるとは全然思いがけなかった。ところが聞い・・・ 和辻哲郎 「寺田さんに最後に逢った時」
出典:青空文庫