・・・ 結いたての髪をにおわせた美津は、極り悪そうにこう云ったまま、ばたばた茶の間の方へ駈けて行った。 洋一は妙にてれながら、電話の受話器を耳へ当てた。するとまだ交換手が出ない内に、帳場机にいた神山が、後から彼へ声をかけた。「洋一さん・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 俊寛様は御腹立たしそうに、ばたばた芭蕉扇を御使いなさいました。「あの女は気違いのように、何でも船へ乗ろうとする。舟子たちはそれを乗せまいとする。とうとうしまいにあの女は、少将の直垂の裾を掴んだ。すると少将は蒼い顔をしたまま、邪慳に・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・僕は手足をばたばたさせながら「かちかち山だよう。ぼうぼう山だよう」と怒鳴ったりした。これはもちろん火がつくところから自然と連想を生じたのであろう。 一三 剥製の雉 僕の家へ来る人々の中に「お市さん」という人があった。・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ といったが、八っちゃんが足をばたばたやって死にそうに泣くものだから、いきなり立って来て八っちゃんを抱き上げた。婆やは八っちゃんにお乳を飲ませているものだから、いつでも八っちゃんの加勢をするんだ。そして、「おおおお可哀そうに何処を。・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・いずれ、身勝手な――病のために、女の生肝を取ろうとするような殿様だもの……またものは、帰って、腹を割いた婦の死体をあらためる隙もなしに、やあ、血みどれになって、まだ動いていまする、とおのが手足を、ばたばたと遣りながら、お目通、庭前で斬られた・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ けれども、厭な、気味の悪い乞食坊主が、村へ流れ込んだと思ったので、そう思うと同時に、ばたばたと納戸へ入って、箪笥の傍なる暗い隅へ、横ざまに片膝つくと、忙しく、しかし、殆んど無意識に、鳥目を。 早く去ってもらいたさの、女房は自分も急・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・と衝と茶の間を抜ける時、襖二間の上を渡って、二階の階子段が緩く架る、拭込んだ大戸棚の前で、入ちがいになって、女房は店の方へ、ばたばたと後退りに退った。 その茶の室の長火鉢を挟んで、差むかいに年寄りが二人いた。ああ、まだ達者だと見える。火・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・自分も声を掛けなかった、三人も菓子とも思わなかったか、やがてばたばた足音がするから顔を出してみると、奈々子があとになって三人が手を振ってかける後ろ姿が目にとまった。 ご飯ができたからおんちゃんを呼んでおいでと彼らの母がいうらしかった。奈・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・ 三人はばたばた外へ出る。池の北側の小路を渚について七、八町廻れば養安寺村である。追いつ追われつ、草花を採ったり小石を拾って投げたり、蛇がいたと言っては三人がしがみ合ったりして、池の岸を廻ってゆく。「省さん、蛇王様はなで皹の神様でし・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・いきなり、四つ肢をばたばたさせる。おむつをきらう赤ん坊のようだ。仲仕が鞭でしばく。起きあがろうとする馬のもがきはいたましい。毛並に疲労の色が濃い。そんな光景を立ち去らずにあくまで見て胸を痛めているのは、彼には近頃自虐めいた習慣になっていた。・・・ 織田作之助 「馬地獄」
出典:青空文庫