・・・「馬丁」や「赤い矢帆」には、この傾向が最も著しく現れていると思う。が、江口の人間的興味の後には、屡如何にしても健全とは呼び得ない異常性が富んでいる。これは菊池が先月の文章世界で指摘しているから、今更繰返す必要もないが、唯、自分にはこの異常性・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
・・・その時また村の方から、勇しい馬蹄の響と共に、三人の将校が近づいて来た。騎兵はそれに頓着せず、まっ向に刀を振り上げた。が、まだその刀を下さない内に、三人の将校は悠々と、彼等の側へ通りかかった。軍司令官! 騎兵は田口一等卒と一しょに、馬上の将軍・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ 園を出ずれば丈高く肥えたる馬二頭立ちて、磨りガラス入りたる馬車に、三個の馬丁休らいたりき。その後九年を経て病院のかのことありしまで、高峰はかの婦人のことにつきて、予にすら一言をも語らざりしかど、年齢においても、地位においても、高峰は室・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・田鼠化為鶉、馬丁すなわち奉行となる。信濃国東筑摩郡松本中の評判じゃ。唯今、その邸から出て来た処よの。それ、そこに見えるわ、あ、あれじゃ。白糸 ああ、嬉しい、あの、そして、欣弥さんは御機嫌でございますか。七左 壮健とも、機嫌は今日のお・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・「私もそりゃ、最初から貴方を車夫馬丁同様の人物と考えたんだと、そりゃどんな強い手段も用いたのです。がまさかそうとは考えなかったもんだから、相当の人格を有して居られる方だろうと信じて、これだけ緩慢に貴方の云いなりになって延期もして来たよう・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・たいしたえらいものではないからあるいは真物かもしれないという気で、北馬蹄斎の浮世絵も見せたが、やはり同じ運命であった。こればかしは、――これで往復の費用を出さねばならぬというので桐箱からとりだした蕃山の手紙は、ちょっと展げてみて、「おや……・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ 森の樹枝を騒がして、せわしい馬蹄の音がひびいてきた。蹄鉄に蹴られた礫が白樺の幹にぶつかる。馬はすぐ森を駈けぬけて、丘に現れた。それには羊皮の帽子をかむり、弾丸のケースをさした帯皮を両肩からはすかいに十文字にかけた男が乗っていた。 ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・そして馬丁にやとってもらいました。 ウイリイはうまや頭からおそわって、ていねいに王さまのお馬の世話をしました。じぶんの馬も大事にしました。そして、しばらくの間なにごともなく、暮していました。 ウイリイは厩のそばに、部屋をもらっていま・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・鏡の中のわが顔に、この世ならず深く柔和の憂色がただよい、それゆえに高雅、車夫馬丁を常客とする悪臭ふんぷんの安食堂で、ひとり牛鍋の葱をつついている男の顔は、笑ってはいけない、キリストそのままであったという。ひるごろ私は、作家、深田久弥氏のもと・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・いわゆる車夫馬丁にたいしても、「馬鹿野郎」と、言えるくらいに、私はなりたいと思っている。できるかどうか。ひとから先生と言われただけでも、ひどく狼狽する私たち、そのことが、ただ永遠の憧れに終るのかも知れないが。 教養人というものは、どうし・・・ 太宰治 「豊島與志雄著『高尾ざんげ』解説」
出典:青空文庫