・・・同時に部屋がぱっと明かるくなった。 襖の画は蕪村の筆である。黒い柳を濃く薄く、遠近とかいて、寒むそうな漁夫が笠を傾けて土手の上を通る。床には海中文殊の軸が懸っている。焚き残した線香が暗い方でいまだに臭っている。広い寺だから森閑として、人・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ にわかにぱっと暗くなり、そこらの苔はぐらぐらゆれ、蟻の歩哨は夢中で頭をかかえました。眼をひらいてまた見ますと、あのまっ白な建物は、柱が折れてすっかり引っくり返っています。 蟻の子供らが両方から帰ってきました。「兵隊さん。かまわ・・・ 宮沢賢治 「ありときのこ」
・・・ 月のあかりがぱっと青くなりました。「おまえのうたは題はなんだ。」画かきは尤もらしく顔をしかめて云いました。「馬と兎です。」「よし、はじめ、」画かきは手帳に書いて云いました。「兎のみみはなが……。」「ちょっと待った。・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・ 日はぱっと明るくなり、にいさんがそっちの草の中から笑って出て来ました。「善ぐ来たな。みんなも連れで来たのが。善ぐ来た。戻りに馬こ連れでてけろな。きょうあ午まがらきっと曇る。おらもう少し草集めて仕舞がらな、うなだ遊ばばあの土手の中さ・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・紫っぽい着物がぱっと目に映えて、硝子越し、小松の生えた丘に浮かんで花が咲いたように見えた。陽子は足音を忍ばせ、いきなり彼女の目の下へ姿を現わしてひょいとお辞儀をした。「!」 思わず一歩退いて、胸を拳でたたきながら、「陽ちゃんたら・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・千代は鏡の中でぱっと眼を移し、重って写っている彼の顔に向って華やかに微笑みかけそして、ゆっくりどきながら云った。「まあ、御免遊ばせ」 そしてすっと開きから出て行った。 又、彼女は、食事の前後以外には、どんなに食事部屋でがたがた物・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ 一枚半ほどの手紙を書き終った時、パット世界が変るほど美くしい色に電気がついた。 大きな字で濃く薄くのたくった見っともない手紙を、硯のわきに長く散らばしたまま、お君は偉く疲れた気持で、ストンと仰向になった。 瞼の上には、眠気が、・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ちょうど電燈がぱっとついた。 女はあたりを見廻して、食卓の向う側にすわりながら、「シャンブル・セパレエ」と笑談のような調子でいって、渡辺がどんな顔をするかと思うらしく、背伸びをしてのぞいてみた。盛花の籠が邪魔になるのである。「偶然似・・・ 森鴎外 「普請中」
・・・ ぱっと笑う。「僕の家内もそちらには近い方ですよ。」「どちらです。」と栖方は訊ねた。 T市だと梶が答えると、それではY温泉の松屋を知っているかとまた栖方は訊ねた。知っているばかりではない。その宿屋は梶たち一家が行く度によく泊・・・ 横光利一 「微笑」
・・・みんな小さい花でございまして、どれもぱっと開いてしまうということはないのでございます。それですから薫も強くはございません。そのくせわたくしの物にはなんでもその花の香が移っているのでございます。ハンケチも、布団も、読んでいる本も、みんなその薫・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫