・・・○僕一身から言うと、ほかの人にどんな悪口を言われても先生にほめられれば、それで満足だった。同時に先生を唯一の標準にすることの危険を、時々は怖れもした。○それから僕はいろんな事情に妨げられて、この正月にはちっとも働けなかった。働いた範・・・ 芥川竜之介 「校正後に」
・・・佐藤の一身、詩仏と詩魔とを併せ蔵すと云うも可なり。 四、佐藤の詩情は最も世に云う世紀末の詩情に近きが如し。繊婉にしてよく幽渺たる趣を兼ぬ。「田園の憂欝」の如き、「お絹とその兄弟」の如き、皆然らざるはあらず。これを称して当代の珍と云う、敢・・・ 芥川竜之介 「佐藤春夫氏の事」
・・・しかし一身の安危などは上帝の意志に任せてあるのか、やはり微笑を浮かべながら、少女との問答をつづけている。「きょうは何日だか御存知ですか?」「十二月二十五日でしょう。」「ええ、十二月二十五日です。十二月二十五日は何の日ですか? お・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ ただし、この革鞄の中には、私一身に取って、大切な書類、器具、物品、軽少にもしろ、あらゆる財産、一切の身代、祖先、父母の位牌。実際、生命と斉しいものを残らず納れてあるのです。 が、開けない以上は、誓って、一冊の旅行案内といえども取出・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・――その上、一人身ではないそうだ。――ここへ来る途中で俄盲目の爺さんに逢って、おなじような目の悪い父親があると言って泣いたじゃないか。」―― 掛稲、嫁菜の、畦に倒れて、この五尺の松に縋って立った、山代の小春を、近江屋へ連戻った事は、・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 天災地変の禍害というも、これが単に財産居住を失うに止まるか、もしくはその身一身を処決して済むものであるならば、その悲惨は必ずしも惨の極なるものではない。一身係累を顧みるの念が少ないならば、早く禍の免れ難きを覚悟したとき、自ら振作するの・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・それで斎藤の一条以来、土屋の家では、例の親父が怒って怒って始末におえぬということを聞いて、どうにか話をしてやりたく思ってるものの、おとよの一身に関することは、世間晴れての話でないから、親類とてめったな話もできずにおったところ、省作の家の人た・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 世の中には行詰った生活とか生の悶えとか言うヴォヤビュラリーをのみ陳列して生活の苦痛を叫んでるものは多いが、その大多数は自己一身に対しては満足して蝸殻の小天地に安息しておる。懐疑といい疑惑というもその議論は総てドグマの城壁を固めて而して・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・されて政治が休息期に入ったからだが、一つは当時の欧化熱が文芸を尊重する欧米の空気を注入して、政治家もまた靖献遺言的志士形気を脱してジスレリーやグラッドストーン、リットンやユーゴーらの操觚者と政治家とを一身に兼ぬる文明的典型を学ぶようになった・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・また、お母さんのためなら、一身を犠牲にしても厭わないと感じている。何と母親の力は偉大ではないか。どの子供も、そう思うのを見れば、母の愛ばかりは、無限であるということが出来る。現在に於て、その力が大なるばかりでなく、たとえ母が死んでしまった後・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
出典:青空文庫