・・・「棘はどうせあの時立てたに違いない」峻は昼間のことを思い出していた。ぴしゃっと地面へうつっぶせになった時の勝子の顔はどんなだったろう、という考えがまた蘇えって来た。「ひょっとしてあの時の痩我慢を破裂させているのかもしれない」そんなこ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・「ひょっとしてあなたは肺がお悪いのじゃありませんか」 いきなりそう言われたときには吉田は少なからず驚いた。しかし吉田にとって別にそれは珍しいことではなかったし、無躾けなことを聞く人間もあるものだとは思いながらも、その女の一心に吉田の・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ 彼は、ひょっと連想した。「どんな奴だ?」「不潔な哀れげな爺さんだ。」「君は、その爺さんと知り合いかって訊ねられただろう?」松本は意味ありげにきいた。「いや。」「露西亜語を教わりに行く振りをして、朝鮮人のところへ君は・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ ――彼はまた、功四級だろうか、それとも五級かな、と考えた。ひょっとすると、三級にありつけるかもしれんて。この頃は、金鵄も貰い易くなっているからな。そうすると、年金が七百円とれると…… 不意に、どこからか、数発の銃声がして、彼の鼻の・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ トシエは、ひょっと、何かの拍子に身体にふれると、顔だけでなく、かくれた、どこの部分でも、きめの細かいつるつるした女だった。髪も、眉も、黒く濃い。唇は紅をつけたように赤かった。耳が白くて恰好がよかった。眼は鈴のように丸く、張りがあった。・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・寿命が尽きる前にゃあ気が弱くなるというが、我アひょっとすると死際が近くなったかしらん。これで死んだ日にゃあいい意気地無しだ。「縁起の悪いことお云いでないよ、面白くもない。そんなことを云っているより勢いよくサッと飲んで、そしていい考案でも・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・ ギンはそれを見て、ひょっとすると、あの牛の後から湖水の女が出て来るのではないかと思いながら、じっと見ていますと、ちゃんとそのとおりに、間もなく女の人も出て来ました。そして昨日よりもまたもっとうつくしい人になっていました。ギンはいきなり・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
・・・紺の木綿のピッチリした長股引を、芝居の鳶の者が、はいているようですけれど、あれを欲しいと思いました。ひょっとこめ、と言って、ぱっと裾をさばいて、くるりと尻をまくる。あのときに紺の股引が眼にしみるほど引き立ちます。さるまた一つでは、いけません・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・ふと、僕はいまわしい疑念にとらわれた。ひょっとすると敷金のつもりなのではあるまいか。そう考えたのである。それならこれはいますぐにでもたたき返さなければいけない。僕は、我慢できない胸くその悪さを覚え、その熨斗袋を懐にし、青扇夫婦のあとを追っか・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・いや、ひょっとすると、そうかも知れない。自殺の虫の感染は、黒死病の三倍くらいに確実で、その波紋のひろがりは、王宮のスキャンダルの囁きよりも十倍くらい速かった。縄に石鹸を塗りつけるほどに、細心に安楽の往生を図ることについては、私も至極賛成であ・・・ 太宰治 「狂言の神」
出典:青空文庫