・・・――と思うと兄の手が、ぴしゃりと彼の頬を撲った。「生意気な事をするな。」 そう云う兄の声の下から、洋一は兄にかぶりついた。兄は彼に比べると、遥に体も大きかった。しかし彼は兄よりもがむしゃらな所に強味があった。二人はしばらく獣のように・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 良平はそう云うか云わない内に、ぴしゃり左の横鬢を打たれた。が、打たれたと思った時にはもうまた相手を打ち返していた。「生意気!」 顔色を変えた金三は力一ぱい彼を突き飛ばした。良平は仰向けに麦の畦へ倒れた。畦には露が下りていたから・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・ 笏で、ぴしゃりと胸を打って、「退りおろうぞ。」 で、虫の死んだ蜘蛛の巣を、巫女の頭に翳したのである。 かつて、山神の社に奉行した時、丑の時参詣を谷へ蹴込んだり、と告った、大権威の摂理太夫は、これから発狂した。 ――既に・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・お姑さんを貴方の手で、せめて部屋の外へ突出して、一人の小姑の髻を掴んで、一人の小姑の横ぞっぽうを、ぴしゃりと一つお打ちなさい。」と……人形使 そこだそこだ、その事だ。画家 ははは、痛快ですな。しかし穏でない。夫人 (激怒したるが・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・あらぬか、それか、何にしても妙ではない、かようなものを間の内へ入れてはならずと、小宮山は思案をしながら、片隅を五寸か一尺、開けるが早いか飛込んで、くるりと廻って、ぴしゃりと閉め、合せ目を押え附けて、どっこいと踏張ったのでありまする。しばらく・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 新聞を膝の上に拡げたままふんふんと聴いていたが、話が唇のことに触れると、いきなり、新聞がばさりと音を立て、続いて箸、茶碗、そしてお君の頬がぴしゃりと鳴った。声が先であとから大きな涙がぽたぽた流れ落ち、そんなおおげさな泣き声をあとに、軽・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ ともかく、私は坂田の青春や自信にぴしゃりと鞭を打たれたのである。昭和十二年の二月のことである。ところが、坂田はその自信がわざわいして、いいかえれば九四歩突きの一手が致命傷となって、あっけなく相手の木村八段に破れてしまった。坂田の将棋を・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・ すると、豹吉は雪子に無関心でおれなくなった自分をぴしゃりと横なぐりの雨のように感じて、ふと狼狽した。 それが、昨日のことであった。 そして、今日――。「何だい、あんな女……」 と、思いながらもやはり豹吉は十時にやって来・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・兵士は、百姓の頬をぴしゃりとやった。「一寸来い。中隊まで来い!」 日本の兵士が雪に埋れていることが明かになった。背嚢の中についていた記号は、それが、松木と武石の中隊のものであることを物語った。 翌日中隊は、早朝から、烏が渦巻いている・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・ すぐにまた、ぴしゃりと押入れをしめて、キヌ子は、田島から少し離れて居汚く坐り、「おしゃれなんか、一週間にいちどくらいでたくさん。べつに男に好かれようとも思わないし、ふだん着は、これくらいで、ちょうどいいのよ。」「でも、そのモン・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
出典:青空文庫