・・・ や、もうその咳で、小父さんのお医師さんの、膚触りの柔かい、冷りとした手で、脈所をぎゅうと握られたほど、悚然とするのに、たちまち鼻が尖り、眉が逆立ち、額の皺が、ぴりぴりと蠢いて眼が血走る。…… 聞くどころか、これに怯えて、ワッと遁げ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・客と、銑吉との間へ入って腰を掛けた、中でも、脊のひょろりと高い、色の白い美童だが、疳の虫のせいであろう、……優しい眉と、細い目の、ぴりぴりと昆虫の触角のごとく絶えず動くのが、何の級に属するか分らない、折って畳んだ、猟銃の赤なめしの袋に包んだ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・突かれた男は、急所を殴られて一ッぺんに参る犬のようにふらふらッとななめ横にぴりぴり手足を慄わしながら倒れてしまった。突きこんだ剣はすぐ、さっと引きぬかねば生きている肉体と血液が喰いついてぬけなくなることを彼はきいていた。が、それを思い出した・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・雪の傍にある原稿をひったくって、ぴりぴりと引き裂いた。「あら!」「いや、いいんだ。僕は君に自信をつけてやりたいのだ。これは傑作だ。知られざる傑作だ。けれども、ひとりの人間に自信をつけて救ってやるためには、どんな傑作でもよろこんで火中・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・英国人が常識的健全なのは紅茶ばかりのんでそうして原始的なるビフステキを食うせいだと論ずる人もあるが、実際プロイセンあたりのぴりぴりした神経は事によるとうまいコーヒーの産物かもしれない。パリの朝食のコーヒーとあの棍棒を輪切りにしたパンは周知の・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・と女は安らかぬ心のほどを口元に見せて、珊瑚の唇をぴりぴりと動かす。「今日のみの縁とは? 墓に堰かるるあの世までも渝らじ」と男は黒き瞳を返して女の顔を眤と見る。「さればこそ」と女は右の手を高く挙げて広げたる掌を竪にランスロットに向ける・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・「絞める時、花のような唇がぴりぴりと顫うた」「透き通るような額に紫色の筋が出た」「あの唸った声がまだ耳に付いている」。黒い影が再び黒い夜の中に吸い込まれる時櫓の上で時計の音ががあんと鳴る。 空想は時計の音と共に破れる。石像のごとく立って・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・道学先生は義務の発電所のようなものが、天の上かどこかにあって、自分の教わった師匠がその電気を取り続いで、自分に掛けてくれて、そのお蔭で自分が生涯ぴりぴりと動いているように思っている。みんな手応のあるものを向うに見ているから、崇拝も出来れば、・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫