・・・にしあれば忍ぶの屋とけふよりあらためよといへり、屋のきたなきことたとへむにものなし、しらみてふ虫などもはひぬべくおもふばかりなり、かたちはかく貧くみゆれど其心のみやびこそいといとしたはしけれ、おのれは富貴の身にして大厦高堂に居て何ひとつたら・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・にしあれば忍ぶの屋とけふよりあらためよといへり、屋のきたなきことたとへむにものなし、しらみてふ虫などもはひぬべくおもふばかりなり、かたちはかく貧くみゆれど其心のみやびこそいといとしたはしけれ、おのれは富貴の身にして大厦高堂に居て何ひとつたら・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・その放縦不羈世俗の外に卓立せしところを見るに、蕪村また性行において尊尚すべきものあり。しかして世はこれを容れざるなり。 蕪村の名は一般に知られざりしにあらず、されど一般に知られたるは俳人としての蕪村にあらず、画家としての蕪村なり。蕪村歿・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・升 附記 正岡子規 「ベースボール」
・・・その着こなしも風采も恩給でもとっている古い役人という風だった。蕗を泉に浸していたのだ。(青金の鉱山できいて来たのですが、何でも鉱山の人たちなども泊 老人はだまってしげしげと二人の疲れたなりを見た。二人とも巨きな背嚢をしょって地図・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・ * 三疋がカン蛙のおうちに着いてから、しばらくたって、ずうっと向うから、蕗の葉をかざしたりがまの穂を立てたりしてお嫁さんの行列がやって参りました。 だんだん近くになりますと、お父さんにあたるがん郎がえるが・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・ 中山街道はこのごろは誰も歩かないから蕗やいたどりがいっぱいに生えたり牛が遁げて登らないように柵をみちにたてたりしているけれどもそこをがさがさ三里ばかり行くと向うの方で風が山の頂を通っているような音がする。気をつけてそっちを見ると何だか・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・当時伏字にされて今日ではうずめられないところは、その要旨を附記してそのままにされている。終りには「社会と人間の成長」がそえられた。 一九四九年三月〔一九四九年五月〕 宮本百合子 「あとがき(『モスクワ印象記』)」
・・・アンネットの裡には、不羈な自由精神があって、彼女の心臓の力で殺すことが出来ない。然し彼女の成熟した女性は愛を欲し、大きな情熱によってその婚約した青年とは永劫に別れつつ、彼の児の母となった。社会の常識と闘い、アンネットはそれを機会に新たな生涯・・・ 宮本百合子 「アンネット」
・・・附記。増田さんの手紙には個人的に返事をかきました。けれども、多くの人に興味のある問題なので、ここに改めてのせます。そして、直接かいた手紙でふれたよりも、もっとひろがった答えとヒントを添えます。〔一九五〇年七月〕・・・ 宮本百合子 「結論をいそがないで」
出典:青空文庫