・・・いったいに、老けて見えるほうでした。痩せて小柄で色が浅黒く、きりっとした顔立ちでしたが、無口で、あまり笑わず、地味で淋しそうな感じのするひとでした。「こちら、音楽家でしょう?」 僕の焼酎を飲む手つきを、ちらと見て、おかみはそう一こと・・・ 太宰治 「女類」
・・・このごろ、急に老けた顔つきになりました。もうきっと、おじいさんになってしまったのでしょうね。四、サビガリ君は、白衣の兵隊さんにお辞儀をなさいますか? あたしは、いつも『今度こそお辞儀をしましょう。』と決心しながら、どうしても、できません・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・この写真は、甲府の武田神社で家内の弟が写してくれたものですが、さすがにもう、老けた顔になっていますね。ちょうど三十歳だったと思います。けれども、この写真でみると、四十歳以上のおやじみたいですね。人並に苦労したのでしょう。ポーズも何も無く、た・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・けれども、私の感じたところでは、失礼ながら、のんきそうには見えず、柏木の叔父さんと同じくらいのお年の筈なのに、どうしても四十過ぎの、いや、五十ちかくのお人の感じで、以前も、老けたお顔のおかたでありましたが、でも、この四、五年お逢いせずにいる・・・ 太宰治 「千代女」
・・・妻と子のために、また多少は、俗世間への見栄のために、何もわからぬながら、ただ懸命に書いて、お金をもらって、いつとは無しに老けてしまった。笠井さんは、行い正しい紳士である、と作家仲間が、決定していた。事実、笠井さんは、良い夫、良い父である。生・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・室内の鈍い光線も八つ手の葉に遮ぎられて、高須の顔は、三日月の光を受けたくらいに、幽かに輪廓が分明して、眼の下や、両頬に、真黒い陰影がわだかまり、げっそり痩せて、おそろしく老けて見えて、数枝も、話ながら、時おり、ちらと高須の顔を横目で見ては、・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・四十三にしてはふけて見える。皮膚は蒼白に黄味を帯び、髪は黒に灰色交じりの梳らない団塊である。額には皺、眼のまわりには疲労の線条を印している。しかし眼それ自身は磁石のように牽き付ける眼である。それは夢を見る人の眼であって、冷たい打算的なアカデ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ いったい黒田は子供の時分から逆境に育ってずいぶん苦しい思いをして来た男だけに世間に対する考えもふけていて、深い眼の底から世の中を横に睨んだようなところがあった。観察の鋭いそしていつも物の暗面を見たがる癖があるので、人からはむしろ憚から・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・それからたとえば踊りつつ月の坂道ややふけて はたと断えたる露の玉の緒とでもいったような場面などがいろいろあって、そうして終わりには葬礼のほこりにむせて萩尾花 母なる土に帰る秋雨 これら・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・もし事情が許せば、静かなこの町で隠逸な余生を楽しむ場合、陽気でも陰気でもなく、意気でも野暮でもなく、なおまた、若くもなく老けてもいない、そしてばかでも高慢でもない代りに、そう悧巧でも愚図でもないような彼女と同棲しうるときの、寂しい幸福を想像・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫