・・・だんだん上にのぼって行って、とうとうそのすりばちのふちまで行った時、片手でハンドルを持ってハンケチなどを振るんだ。なかなかあれでひどいんだろう。ところが僕等がやるサイクルホールは、あんな小さなもんじゃない。尤も小さい時もあるにはあるよ。お前・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・長い頸を天に延ばすやつ頸をゆっくり上下に振るやつ急いで水にかけ込むやつ実にまるでうじゃうじゃだった。「もういけない。すっかりうまくやられちゃった。いよいよおれも食われるだけだ。大学士の号も一所になくなる。雷竜はあんまりひ・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・と心に叫ぶ時のわくわくする亢奮を、今も尚鮮かに思い出せるが――然し、子供の時分雨が降ると何故あんなに家じゅう薄暗くなっただろう。部屋の中で座布団をぶつけ合って騒ぐ。或はもう少しおとなしい子供らしく静かに電車ごっこでもする。遊びはいつもの・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・けれども、笑うだけ笑って仕舞うと、彼女は、足をぶらぶら振るのもやめ困った顔で沈んで仕舞った。「もうじき大晦日だのにね。――どうするおつもり?」 彼女は、歎息まじりに訴えた。「今其那に女中なんかないのよ。貴方男だから好きになすった・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・一太は決して歩いて行ってそれに触るようなことはしなかったが、浅草のおばさんちにあったような鳥の剥製でもあるといいのに! 壁には髭もじゃ爺の写真がかかっているだけだ。 先刻から、一太の母と主人とは大体こんな会話をしていた。「私もそうお・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・私は、雨戸に何か触るカサカサという音を聞いた。「そう風だ、風以外の何であろうはずはないではないか、そして、あの雨どいの下にシュロが生えている、シュロの葉は大きく強く広がっていたのを私は昼間見たではないか」 私は……確り眼と耳をつぶって寝・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・と手を出すと、黒いぬれた鼻をこすりつけて、一層盛に尾を振る。「野良犬ではないらしいわね。どうなすったの?」「つい其処に居たんだ。通る人だれの足許にでもついてゆきそうにして居た。ね、パプシー」「いきなりつれていらしった・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・帰った日から祖母の容態が進み、カムフル注射をするようになった。十中八九絶望となった。祖母は、心持も平らかで、苦痛もない。私は、父の心を推察すると同情に堪えなかった。父は情に脆い質であった。彼にとって、母は只一人生き遺っていた親、幼年時代から・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・として Full にものを云い得る。愛する男の美しさについて、その皮膚のすみずみに対する愛について、階級的統一のもとにあますところなく云い得る。 故にこれで明らかなように人体の美も、社会主義の社会において始めて曇りなく描きたたえ得るもの・・・ 宮本百合子 「婦人作家は何故道徳家か? そして何故男の美が描けぬか?」
・・・ ―――――――――――――――― この秋は暖い暖いと云っているうちに、稀に降る雨がいつか時雨めいて来て、もう二三日前から、秀麿の部屋のフウベン形の瓦斯煖炉にも、小間使の雪が来て点火することになっている。 朝起き・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫