・・・食料品はもとよりすべての物資は東倶知安から馬の背で運んで来ねばならぬ交通不便のところでした。それが明治三十三年ごろのことです。爾来諸君はこの農場を貫通する川の沿岸に堀立小屋を営み、あらゆる艱難と戦って、この土地を開拓し、ついに今日のような美・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・ と、淳朴な仏師が、やや吶って口重く、まじりと言う。 しかしこれは、工人の器量を試みようとして、棚の壇に飾った仏体に対して試に聞いたのではない。もうこの時は、樹島は既に摩耶夫人の像を依頼したあとだったのである。 一山に寺々を構え・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ たいして、急がなければならぬことでないのに、彼等は自動車に乗り、また、出なくて家にいてもいゝのに、外へ出たり、また、それ程、物資に欠乏していないのにかゝわらず、物資をその上にも輸送し、輸入するために、トラックを走らせたり、すべてが、必・・・ 小川未明 「街を行くまゝに感ず」
・・・ 共産制度の世界に到達して、生産の豊富から、物資の潤沢をのみ夢むような輩は、尚お、心にブルジョアの、安逸と怠惰の念が抜けきらないからです。私達、真の無産者は、喜びを共にし、苦しみを共にし、永久に、平和な、そして自由な、青空の下に相抱いて・・・ 小川未明 「民衆芸術の精神」
・・・彼はいった。 日蓮は日本の高僧中最も日本的性格を持ったそれである。彼において、法への愛と祖国への愛とがひとつになって燃え上った。彼は仏子であって同時に国士であった。法の建てなおしと、国の建てなおしとが彼の使命の二大眼目であり、それは彼に・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・そして国境外では、サヴエート同盟に物資が欠乏していると、でたらめを飛ばした。 一方では、飲酒反対、宗教反対のピオニールのデモを見習った対岸の黒河の支那の少年たちが、同様のデモをやったりするのに、他方どうしても、こちらの、すきを伺っては、・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・彼はこの女と、ほんの二、三度、闇の物資の取引きをした事があるだけだが、しかし、この女の鴉声と、それから、おどろくべき怪力に依って、この女を記憶している。やせた女ではあるが、十貫は楽に背負う。さかなくさくて、ドロドロのものを着て、モンペにゴム・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・が栃木県の生家から東京へ出て来た時には、東京の情景、見るもの聞くもの、すべて悲しみの種でしたが、しかし、少くとも僕一個人にとって、痛快、といってもいいくらいの奇妙なよろこびを感じさせられた事は、市場に物資がたくさん出ていて、また飲み食いする・・・ 太宰治 「女類」
・・・どうも、考えてみると、この物資不足の時に、僕なんかにごちそうするなんて、むだですよ。つまらないじゃありませんか。」「残念です。あいにく只今、細君も外出して、なに、すぐに帰る筈ですがね、困りました。お電話を差し上げて、かえって失礼したよう・・・ 太宰治 「やんぬる哉」
・・・例えば、アムステルダムの大市場は、世界の物資を集散して目を瞠らせる壮観を呈した。同時にその市場を運営していたアムステルダムの市民は、ルーベンス、レンブラントの芸術を生む母胎ともなった。ハンザ同盟に加っていたヨーロッパのいくつかの自由都市は、・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
出典:青空文庫